「ラストエンペラー(最後の皇帝)」というタイトルの清朝最後の皇帝・溥儀の生涯を描いた歴史映画(1987年公開)があったが、ローマ・カトリック教会の第264代教皇ベネディクト16世(在位2004年4月19日~2013年2月28日)は本来、「last pope(最後の教皇)」となるべき立場だった。
それが何らかの理由から実現されず、ローマ・カトリック教会は2013年3月、後継者をコンクラーベ(教皇選出会)で選び、今日まで続いてきた。ベネディクト16世の生前退位表明前後の事情を今回、紹介する。
ペルシャ帝国のクロス王とローマ教皇ベネディクト16世の夢
ペルシャ帝国のクロス王はある晩、夢を見た。帝国内にいるユダヤ人たちをエルサレムに帰還させよという神からのお告げを受けたのだ。その夢があまりにもリアルであったため、クロス王は悩んだ末、神の命令通りに、ユダヤ人をエルサレムに帰還させた。クロス王がもし神の命令に従わなかったならば、ユダヤ教は今日のような宗教には発展できなかったはずだ。ユダヤ民族はペルシャ民族(現在のイラン)に大きな恩を受けているわけだ。
イスラエル史を少し振り返る。ヤコブから始まったイスラエル民族はエジプトで約400年間の奴隷生活後、モーセに率いられ出エジプトし、その後カナンに入り、士師たちの時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代を迎えたが、神の教えに従わなかったユダヤ民族は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされる。
北イスラエルはBC721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ帝国下に入った。そしてペルシャ王朝のクロス王はBC438年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還させたのだ。
なぜ、ペルシャ王は当時捕虜だったユダヤ人を解放したかについて、旧約聖書の「エズラ記」によると、「ユダヤの神はペルシャ王クロスの心を感動させ、ユダヤ人を解放させ、エルサレムに帰還させた」と説明しているだけだ(「ユダヤ教を発展させたペルシャ王」2017年11月18日参考)。
その約2400年後、ローマ教皇ベネディクト16世は夢を見た。神が出てきて、「ローマ教皇の立場を辞任せよ」というのだ。理性的な教皇は戸惑った。夢がクロス王の時と同じようにリアルで、「幻想」と一蹴するのはあまりにもパワフルだったのだ。長い思考の末、ペテロの後継者の教皇の立場を辞任することを決意した。
ベネディクト16世が実際、生前退位を発表したのは翌年2013年2月11日だ。
ベネディクト16世の生前退位
ちなみに、ベネディクト16世が生前退位を表明した直後、雷が聖サン・ピエトロ大聖堂の頂点に落ちた。その瞬間をイタリア通信(ANSA)写真記者が撮影している。「神からの徴(しるし)」と受け取る信者たちも出てきた。
夢を見、生前退位を決意した後もベネディクト16世には、神はなぜ自分を辞任させたいのか、自分は何か大きな過ちを犯したのか、といった思いが何度も駆け巡ったはずだ。
カトリック教会には聖典とはなっていないが、歴史的な文献などの外典が多くある。その中の一つ、11世紀の預言者、聖マラキは、「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」の中で1143年に即位したローマ教皇ケレスティヌス2世以降の112人(扱いによっては111人)のローマ教皇を預言している。そして最後の111番目がベネディクト16世となっているのだ。
聖マラキは1094年、現北アイルランド生まれのカトリック教会聖職者。1148年11月2日死去した後列聖され、聖マラキと呼ばれている。彼は預言能力があり、ケレスティヌス2世以降に即位するローマ教皇を預言した。
聖マラキの預言の内容
その預言内容をまとめた著書「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」と呼ばれる預言書が1490年に登場した。カトリック教会では同預言書を「偽書」と批判する学者が少なくないが、その内容の多くは当たっているのだ。近代最高峰の神学者の一人と呼ばれた同16世は当然、聖マラキの預言の内容を知っていたはずだ(「法王に関する『聖マラキの預言』」2013年2月23日参考)。
ベネディクト16世は生前退位の決意を自分のうちに秘め、2013年2月を迎えた。教皇の生前退位発表が世界に伝わると、大きな驚きと混乱が起きた。同16世の生前退位について、健康悪化説が流れた。同16世自身も後日、「生前退位の主因は健康問題だった」と述べたことがある。その教皇は退位後、名誉教皇として9年間、バチカン内のマーテル・エクレシア修道院で生活している。
ベネディクト16世が当時、職務不能なほど健康問題を抱えていたという説は説得力に乏しい。繰り返すが、ドイツ出身のベネディクト16世は2013年2月の段階で、生前退位しなければならないほど健康問題を抱えていたわけではないのだ。
ベネディクト16世はクロス王と同様、神の願いを遵守して生前退位した。その後、どうなったのか。ベネディクト16世の退位後、コンクラーベが開催され、南米出身のフランシスコ教皇が第266代のローマ教皇に選出され、カトリック教会は今日まで存続している。
ただし、聖マラキがその預言書の中で、「ローマ教皇はベネディクト16世で終わる」と強く示唆していたことから、フランシスコ教皇後のカトリック教会は“ペテロの後継者”という看板を失った新しいカトリック教というべきかもしれない。
フランシスコ教皇は南米アルゼンチン出身だが、イタリアから南米に居住した移民の子だ。フランシスコ教皇はローマからいったん外に出、そして再びローマに戻ってきた「最初の教皇」だ。フランシスコ教皇のその出自は、カトリック教会が新しい出発をしたことを象徴的に示している、とも解釈できる。
「クロス王の夢」でユダヤ民族の歴史が激変したように、ひょっとしたら「ベネディクト16世の夢」も本来、キリスト教だけではなく、世界に大きな変化をもたらす何らかのインパクトがあったはずだが、実際は、ベネディクト16世が生前退位しただけで、カトリック教会を含み大きな変化はまだ見られない。
参考までに、今年4月に94歳となったベネディクト16世は個人的には、人生最後の日々に訴訟を受ける身となっている。同16世はミュンヘン大司教時代(1977年~1982年)、聖職者の未成年者への性的虐待問題を適切に処理せず、隠蔽していたとして、犠牲者から訴訟を起こされたばかりだ(「前教皇は聖職者の不祥事に対応せず」2022年1月22日参考)。
聖マラキの預言のように、ベネディクト16世は「最後の教皇」としてローマ・カトリック教会の歴史を閉じるべきだったとすれば、その神の計画は実行されず、その目標は延長された、というべきかもしれない。
ベネディクト16世が生前退位しなければならなかった“神の事情”がまだ見えてこないのだ。具体的には、2012年から2013年にかけて神は何を計画していたのか、という謎が解けない限り、「ベネディクト16世の夢」を正しく評価できないのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年6月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。