ベラルーシ、アゼルバイジャン、トルコで起きていること:報道の自由は「あって当たり前」ではない

刑務所に収監中のベラルーシのジャーナリストたち。ジャーナリズム祭のセッションから。筆者撮影

新型コロナ感染症の影響で過去2年間休止状態となっていた「国際ジャーナリズム祭」が、今年4月6日から10日、イタリア中部ウンブリア州の州都ペルージャで復活した。

ジャーナリズム祭はペルージャの地域活性化の試みとして始まり、2007年から毎年開催されてきた。世界中からやってくるジャーナリスト、メディア組織の編集幹部、学者、一般市民などがビジネスモデル、報道の自由、人権、テクノロジーの活用など幅広いテーマについて議論する。参加費は無料。

グーグル、メタ、オープン・ソセエティ財団が主要スポンサーとなり、米クレイグ・ニューマン・フィランソロピーズからの寄付、ウンブリア州自治体からの支援金などで運営費用を賄っている。

ペルージャで恒例のジャーナリズム祭には筆者のなじみのメディア関係者も多く訪れ、直接顔を合わせて情報交換する機会となっている。

2月24日のロシアによるウクライナ侵攻開始を機に、国家権力と報道の自由についての関心が高まっている。今回は、ジャーナリズム祭のセッションの中で国家権力による言論の弾圧、国外に移動せざるを得なくなったジャーナリストたちの議論を紹介したい。

ベラルーシ、2020年後半から弾圧強化

セッション「国外から伝えるジャーナリズム -ベラルーシの例」を紹介するジャーナリズム祭のウェブサイト(ウェブサイトから)

ベラルーシではアレクサンドル・ルカシェンコ大統領による強権政治が続いている。

「国外から伝えるジャーナリズム ーベラルーシの例」(4月8日)と題されたセッションの冒頭で、司会ユリア・アレクシーバ氏(非営利組織「アウトライダーズ」所属)が沈痛の面持ちでこう述べた。

「昨日、ベラルーシのジャーナリスト、カティリアナ・アンドリーバ氏に国家謀反罪の嫌疑がかけられた。有罪となれば、15年の禁錮刑になる」。2020年11月、アンドリーバ氏は大統領の辞任を求めるデモの取材をきっかけに拘束され、21年に「非合法の抗議デモを組織化した」として2年の禁錮刑を下された。残り5カ月の受刑期間を残す中、さらなる嫌疑が追加されたことになる。「これがベラルーシの現実だ」(アレクシーバ氏)。

ジャーナリズム祭の他のセッションはストリーミング配信されるが、このセッションは発言者の身を守るため、配信及びアーカイブ保存の対象外となった。

セッション開始前、参加希望者が会場の入り口に長い列を作った。会場内に入りきれないほどの人数で、関心の高さがうかがえた。

ポーランドに拠点を置く非営利組織「ベラルーシ・イン・フォーカス・インフォメーション・オフィス」の最高経営責任者ナタリア・ベリコバ氏がベラルーシの言論状況について説明した。

ベラルーシで言論の締め付けが特に強化されたのは2020年後半から。

1994年から現職のルカシェンコ大統領は2020年8月の大統領選挙でも勝利したが、その直後、選挙の不正の指摘とやり直しを求める声が大きくなり、全国的な抗議デモが広がった。反体制派やメディアに対する徹底的な弾圧が始まった。具体的には「ニュースサイトへのアクセス制限、メディアで働く人に対し刑事罰の嫌疑をかけて迫害、メディア組織を強制的に閉鎖、独立系新聞の印刷及び配布の禁止」など。

4月時点でメディア界での「拘束者は510人、刑事責任を問われて刑務所に収監中の人は26人、居住場所を移動せざるを得なくなった人は200人以上だ」。

活動を海外に移した一人が、アレクサンドラ・プシュキナ氏である。同氏はベラルーシ最大の独立系メディア「TUT.BY」のジャーナリストだった。

2021年5月、ベラルーシ当局が「禁じられた情報を報道した」などの理由でTUT.BYのオフィスを封鎖し、中にいた編集スタッフ全員を税金詐欺容疑などで拘束。ウェブサイトへのアクセスも遮断した。プシュキナ氏はTUT.BYの元同僚たちとともに「Zerkalo.io」を立ち上げた。現在、月間3300万人の読者を持つ。

ベラルーシ当局はZerkalo.ioを「過激主義」と呼び、国内ではウェブサイトへのアクセスを遮断しているが、40%のトラフィックはベラルーシからのもので、仮想専用通信網(VPN)を利用して接続しているという(プシュキナ氏)。

トルコ、アゼルバイジャンから亡命

2016年7月15日夜。トルコのエルドアン政権打倒を目指す軍の一部によるクーデータが勃発した。

ヤブズ・ベイダー氏(ジャーナリズム祭公式画像。撮影Alessandro Migliardi)

ジャーナリストとして40年近い経験を持ち、メディア業界を分析するプラットフォーム「P24」の共同創設者ヤブズ・ベイダー氏は、この日、首都イスタンブールの自宅にいた。

銃撃戦が始まり、政権側はモスクの高い塔から大統領を支持するようにと市民に呼びかけていた。

オートバイにまたがって市内の様子を一通り見た後で、ベイダー氏は考えた。「国に残るか、出ていくのか」。選択をするときが来た。

「どのような結果になろうと、ゆくゆくはジャーナリストや学者が攻撃対象になる」。実際に、クーデター鎮静化後、エルドアン政権はメディア統制を強めていった。

一触即発の政治状況がいつかは出現することを感知していたベイダー氏は、ジャーナリスト仲間とともにトルコを出たという(4月9日のセッション「亡命ジャーナリストたち」で)。

現在はフランスに住み、英語、トルコ語、アラビア語のニュースサイト「Ahval」の編集長として活動中だ。

アゼルバイジャン出身のコラムニスト、アルズ・ゲイブラ氏は「自ら望んで『亡命ジャーナリスト』になったわけではない」という。トルコに住むようになったのは「個人的な理由」だった。しかし、アゼルバイジャンの人権侵害について書いているうちに、当局から「国家の敵」とされる人物のリストに入ってしまった。

アルズ・ゲイブラ氏、右から2人目(ジャーナリズム祭公式画像。撮影Alessandro Migliardi)

2003年からイルハム・アリエフ大統領の統治が続くアゼルバイジャンでは、メディア統制が厳格化している。「市民団体や人権擁護運動の活動家、ジャーナリストたちが次々と逮捕され、形ばかりの裁判で投獄される事態が起きている」。

2014年12月、米政府や議会が出資する「ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティ(RFE/RL)」のバクー支局が当局によって封鎖され、職員らは拘束された。当局によるとRFE/RLは「外国資本」で「スパイの手先」であるという。

ゲイブラ氏は自分も編集にかかわっていたRFE/RLの本部があるプラハで、バクー支局に対する攻撃を知り、衝撃を受けた。

今年2月から施行された新メディア法はメディア組織への規制を強化するもので、ジャーナリストは登録制となる上に「客観的な」解釈を示すことが義務化された。

「現在、アゼルバイジャンでジャーナリズム活動を続けるのは至極困難だ」。

トルコ出身のベイダー氏は「強権政治が続く限り、亡命状態にならざるを得ない」という。

ジャーナリズム祭は旧市街に並ぶホテルや会場で行われる。通りにある小売店が凝った飾りつけをするのも恒例だ。

ウクライナ・キエフを拠点とする「キエフ・インディペンデント」やほかのメディアの状況を取り上げたセッションについては、「独立メディア塾」に書いています。よろしかったら、ご覧ください。

抑圧を跳ね返すメディア

(新聞通信調査会発行「メディア展望」6月号掲載の筆者記事に補足しました。)


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2022年7月3日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。