「この会社にはもう未来はないと確信した」
本書は朝日新聞のスター記者が出世の階段を登っていく過程から、社内政治に敗れ組織を離れるまでの過程を赤裸々に描写したノンフィクションである。
関係者が実名で描かれ、「特別報道部を一緒に産み育ててきた市川さんの姿勢が急変した」等、著者を取り巻く周辺人物の毀誉褒貶が激しく読者を飽きさせない。
いわゆる吉田調書事件を契機に、スター記者から朝日新聞凋落の戦犯として失脚する中での社内の立ち位置や人間関係の変化について、組織人であれば頷く点は多いだろう。所属組織と構成員は決して双方向の関係ではなく、自分が思っているほどには組織は自分のことなど気にかけてはくれない。
新聞広告では東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者や東京工業大学の中島岳志教授など左派言論人のメッセージが掲載されており、警戒する向きもあろう。実際著者も本書の中で安倍・菅政権に批判的ではある。しかし、社内政治にイデオロギーは関係ない。平和、平等、人権、公正、表現の自由などを高らかに謳う朝日新聞の内部が、実は極めて締め付けの厳しい体制であるとの内部告発は一読の価値ありだ。
しかし、名門新聞社に勤める著者を始めとした関係者の内向き姿勢は、社外にいる一般の国民には理解されないだろう。著者は捏造記者として組織から切り捨てられたと捉え、世間からのバッシングの標的になったことに恨み骨髄だ。
しかし公人の政治家や著名人は別にしても、松本サリン事件を始めとした誤報を通じて、多くの名もなき国民を一方的に「公開処刑」してきたのはメディアではないのか。他者を批判する言論活動とは、自分自身が反論の矢面にも立つ双方向の闘いであるということにサラリーマン記者の多くは無自覚なのではないか。
また、東京オリンピックのスポンサーとして開催を支える社内主流派の編集局に対して、中止を求めた社説責任者に著者は共感する。しかし、ここには購読料を支払う読者の視点が完全に欠けている。内部の権力闘争を自ら解決する自浄努力を放棄し、相反する見解を無責任に外部に垂れ流した。読者や国民を呆れさせたことに対する反省の色はない。
佐藤正久参議院議員のスケジュールを担当していた秘書時代、多くの若手記者と連絡を取り合った。少なくとも私が知っている個々の記者は、所属新聞社は違っても皆同じように誠実であった。もちろん、朝日新聞政治部記者も例外ではない。
その意味で本書は朝日新聞政治部を題材にしているものの、新聞社の政治部が置かれている状況を端的に示しているのかもしれない。
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