t.A.T.u.の向こう側に垣間見える喪失のメカニズム

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2021年の11月に公開された記事に今さら辿り着きました。多分その頃にドタキャン事件の真相そのものは読んだ記憶があり、まあ衝撃の真相みたいなものとしては、もう一回りしたし、どうせ知っていることしか書いて無いだろうと思っていたのに、なんとなくクリックしたら意外にも深掘りが面白い記事でした。

ロシアのタトゥー2人が明かしたドタキャンの真相 タモリさん「番組で一番印象的」

ロシアのタトゥー2人が明かしたドタキャンの真相 タモリさん「番組で一番印象的」:朝日新聞GLOBE+
タモリさんが司会を務める音楽番組「ミュージックステーション」(テレビ朝日)が10月、ギネス世界記録に認定された。 理由は「同一司会者による生放送音楽番組の最長放送」。タモリさんの司会期間は番組初期から34年あまり。名実ともにすごい記録...

やらせドタキャンの先にあるもの。t.A.T.u.の2人の素直な気持ちもだけれど、それ以上に興味深かったポイントは、ソビエト崩壊後にロシア国民が直面した巨大な喪失感と敗北感みたいなものが、t.A.T.u.ブームの裏側にあったという話で、それは今ウクライナ問題の背景として理解しておくべきことでもあるとあらためて思うわけです。今のタイミングで、この若干古くなった記事を読んだからこそわかったことでもあります。

西側陣営後方の一員として、安全な場所から見ていたボクらからすると、ソビエト崩壊とは「計画経済はいずれ手ひどい失敗をするのだ」という理論、いや若干偽悪的に言えば正義のイデオロギーみたいなものの正しさが証明された事象に見えて、喜ばしく、かつ明るい世界の到来と認識していたわけです。

一時は混乱しようとも、それは新生ロシアの人々にとっても、より良き世界が訪れるための産みの苦しみであると、ある意味外野の無責任な視点から見ていたわけで、信じていた世界の崩壊を当事者として経験する人達の喪失感を軽視し過ぎていたのだなぁと、今になると思います。

西側から正義のイデオロギーの勝利と見えていたということは、裏返せば東側にしてみれば誤謬とレッテルを貼られて敗北したという意味になることをわれわれは少し軽視し過ぎていたのかも知れないと、思うのです。

船戸与一の「緋色の時代」だったか「砂のクロニクル」だったかを新刊当時に読み、衝撃を受けたことを思い出しました(20年以上も前のことで、どの作品かちょっと曖昧なので、誰か教えてくれませんかねぇ)。

スパイというかテロリストというか、要するに国際的策謀の中で暴力をもって働く主人公が、荒事で高ぶった気持ちを静めるために、女を買うシーンがあるのですが、そこで主人公は、月並みに若いキレイな娘を買うのではなく、途轍もないインフレに国民全員が塗炭の苦しみにもがく最中に、かつて祖国ソビエトから良妻賢母の鑑として、母親勲章をもらった中年女性を、はした金で屈服させるという極めて屈折した加虐的行動を取るのです。

フィクションなのは重々承知の上ですが、そこに、戦争ではなくとも、何らかの形で敗北した国家の国民であることの苦渋みたいなものを極めて鮮烈に感じたのです。

「偉大なる祖国」という言葉はリスクを孕みながらも、多くの人々にとって無視し得ない重要な感情で、それこそが今プーチンの国家経営の核となっているということはすでに各方面で分析されていることでもあります。

そして、おそらくそれは、ロシアだけの問題ではなく、かなり人類共通の問題であるはずです。古くは第一次大戦で敗北したドイツは明らかにそうだったでしょうし、アメリカがベトナムで感じたことも同じでしょう。韓国が日本に向けて感じていることも、本当に偉大な時代があったかどうかはさておき同じでしょう。

経済運営的に行き詰まりつつある現在の中国も、かつての元や秦の時代に築いた中華のプライドを取り戻したと思う間もなく再び失うことになる予兆が始まっています。すでに習近平が発信している事々を見るに、偉大なる中国への強い拘りが見て取れます。

わが国のメディアが散々煽る「日本オワコン論」だって、多分同じ根っ子にある気がします。敗北の怖さに正面から立ち向かえずに、糾弾する側に回って「自分は最初からわかっていた」という落ち着きどころを探しているに過ぎない気がします。

そういう敗北感が生み出す負の感情の危うさは、世界の災厄に成り得るものであることに、われわれはもう少し危機感を持って身構えるべきなのではないか、そう思うのです。


編集部より:この記事は自動車経済評論家の池田直渡氏のnote 2022年7月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は池田直渡氏のnoteをご覧ください。