突然、全く予期しない形で安倍晋三元総理が凶弾に倒れた。私は激しい喪失感に襲われているが、同時に認めたくない現実を受け入れ、安倍元総理の遺言を如何に実現しなければならないか。その事に、真剣に向き合わねばならないことも分かっている。
国際関係論を学んだ者として、総理大臣在職時の安倍外交を政治学の観点から使って振り返ってみたい。それが安倍外交を外相として支えた、岸田外交の行く末を見通す基礎となる。
安倍外交は、政治学の教科書で議論されるリベラリズムの王道を地で行く政権であった。国際関係論(IR, International Relations)の分析手法は、主にリアリズム(現実主義)とリベラリズム(自由主義)の2つから成る。
国家や軍事力を中心に据えて国際関係を見るリアリズムに対して、リベラリズムは国家や軍事力の重要性と共に、国連やNGOなどを含む非国家主体にも重きを置く。ちなみに、永田町で左派を意味する所謂「リベラル」とは全くの別物で、日本でしか通用しない明らかな誤用である。
地球儀を俯瞰する安倍外交は、国際機関や各国との協力、TPPなど貿易協定を活用して外交ネットワークを世界中に張り巡らした。また、自由貿易体制維持にも人一倍汗をかいてきた。多国間協力を重視する「自由で開かれたインド太平洋戦略」はその一環であり、3年ごとに開催されるTICAD(アフリカ開発会議)では、2013年、2016年、2019年の連続で、安倍総理が54カ国を誇るアフリカ諸国リーダーたちと議論してきた。
各国との信頼関係を基礎に国連外交を展開する上で、その外交成果は計り知れない。また、安倍外交では米中韓との歴史的和解にも重点が置かれた。2015年の米議会での総理演説、戦後70年談話、そしていわゆる慰安婦合意の積み重ねが東アジア情勢の安定に寄与し、翌年のオバマ米大統領の広島訪問へとつながった。
これらの和解事業は国内で賛否両論の議論を巻き起こしたが、日本側から一定のけじめをつけたことで、国際社会で安倍総理を歴史修正主義者と呼ぶ者は最早いない。また、歴史問題に取り組み日常の外交実務を円滑に回そうと努力することは、軍事力を重視するリアリズムと一線を画す。
こういったリベラリズムを基調とした外交政策は、軍事力行使に大きな制約がある日本にとって必然の選択とも言える。そもそも今の日本が、リアリズム一辺倒の外交を展開することは構造的に不可能なのである。
学問的な検証は、政権が一定期間持続しないと話にならない。1年や2年でコロコロ変わる政権では、そもそも検証の仕様がない。中曽根政権の5年間、小泉政権の5年半も、国際基準から見れば短い。2012年12月からの安倍外交7年9ヶ月は、アメリカ大統領2期8年と比較し、国際基準から見て遜色のない分析対象である。国際関係論を語る上で長期安定政権は、それ自体が大きな学問的貢献である。今後、本格的な研究が待たれる。