「学級閉鎖ラッシュ」は大人の軽躁さが招いた人災 --- 高梨 雄介

故阿川弘之氏が『大人の見識』で、こんな風に述べておられました。

日本人の国民性を一言で言い表すとしたら、何でしょうか?
世界中の人が多分すぐ思い浮かべるのが「勤勉」、「几帳面」、それと並んで、残念ながら「軽躁」も、もう一つの特性だと思います。字引で引くと、「落ち着きがなく、軽々しく騒ぐこと」とある。(中略)何かあるとわっと騒ぎ立ち、しばらくするときれいさっぱり忘れてしまう。熱しやすく、冷めやすい。(p.15)

これ、本当におっしゃるとおりです。例えばコロナ対応。流行り始めた当初はどのメディアも感染防御を最優先に掲げていました。未知の感染症でしたから仕方ない面もありましたが、疫学的なデータが集まり始めて「既知」の感染症になりつつあり、感染防御一辺倒がもたらす弊害が叫ばれるようになってもなお、感染防御一辺倒に走り出した船の舵が切られることはなかった。「感染防御」の旗印の下に騒ぎ始めてしまった熱気は、科学的で冷静な意見を投げ掛けても、全く冷めなかったわけです。

ところが、騒ぐ人が一人減り二人減り、マスメディアでも報じられなくなると途端に忘れてしまう。忘れてハイ終わりならいいんですが、騒ぎ立てていたころに作られた数々の規制は残り続けています。その一つがこの学級閉鎖ルールです。

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このルールについて現場の先生方を責めるのは論外とはいえ、文部科学省や政治家だけを責めるのもいかがかと思います。阿川氏はこのように述べておられます。

かくて日本は、独伊の側に立って「負けるに決ったいくさ」(山本五十六の言)に突入するのですが、それを専ら政治家と軍人のせいにするのは、妥当じゃないでしょう。背後に大きな「民の声」がありました。

「民の声」は主として日々の新聞からかもし出される。欧州動乱勃発当初、ドイツ軍破竹の進撃ぶりを、朝日新聞なんか「疾風枯葉を捲く」という表現で礼賛していました。ドイツが勝つ、イギリスは負ける、それに決ってると、誰しもが思う。(中略)それはある種の信仰に近いものでした。(p.127)

コロナ対応とは規模も重みも違いますが、「民の声」が政治家や官僚を拘束してしまった点は通底しているように思います。何万人死ぬとか脅されて「民の声」はゼロリスクを求めるようになってしまった。この状況で「民の声」に反対できる政治家なんてそうそういません。

阿川氏がおっしゃる対英米戦争の「民の声」は、惨憺たる戦禍を突き付けられてようやく収まりました。コロナ対応はまだ軌道修正が間に合います。複数人が感染しただけで学級閉鎖する取扱いが妥当なのか、子供たちに対するマスクが必要なのか等々。政治家や官僚もそうですが大人各位も、再度検証するべきではありませんか。

同時に大人各位は、マスメディアがコロナ一色になったとき何を考えていたかを省みるべきだと思います。そうしないとまた同じことの繰り返し。またいつか別のネタでマスメディアに乗せられて、軽躁に騒ぎ立ててしまうでしょう。自己成長しないどころか、経年劣化により退化する一方なのです。

あわせて、コロナについて誰が何を言ったかを調べて、間違ったことを言っていた人やメディアがきちんと謝罪や訂正をしたか確認することを勧めます。謝罪も訂正もしないのは言説に責任を取らないということ。そんな連中の話は、今後アテにしない方がいいからです。

以上、卑近な例としてコロナを取り上げましたが、類例他にも多数あります。原発の話だって同じです。10年以上前ですが「ゆとり教育」もそうでした。いずれも実行したのは政治家や官僚でしたが、「民の声」のバックアップがあった。仕掛けるマスメディアも大概ですが、大人が乗せられ続ける限り、きっと同じ轍を踏み続けると思います。

高梨 雄介
上智大学法学部卒業後、市役所入庁。法務関係部門を歴任して数々の例規の起草、審査、紛争解決等に携わる。現在は公共団体職員として勤務の傍ら、放送大学で心理学を専攻中。