安倍晋三を身近で感じた最期の三日間 --- 森友 由

二人の心友を通じて過ごした安倍さんとの最期の三日間

7月13日、安倍さんを囲む少人数ランチミーティングが予定されていた。私は、その席で安倍さんご本人と話すことを心待ちにしていた。しかし、まさかご本人との初の対面が御霊前になろうとは。

7月9日に“日本の羅針盤”、“歩く安全保障”、“世界の均衡点”と称される安倍晋三を世界は失うこととなった。

その後の三日間、安倍さんの心友であったお二人と過ごし、彼らの心を通して安倍晋三さんと過ごすことに恵まれた。恵まれたというと、語弊があるかもしれないが、でも本当に、全身全霊で、安倍さんの存在に触れることができ、そして、決して生涯忘れることができない経験をさせていただいた。その経験を一人でも多くの国民と共有すべく、寄稿する次第である。

ちなみに、心友のお二人とは、第二次安倍政権の誕生を中心となって支え、安倍さんが凶弾に倒れる直前まで政策提言を続けてきた文芸評論家の小川榮太郎氏と、安倍さんが初めて当選した頃に清和会の秘書を務めていた旧友のことである。

7月10日は安倍さんのご自宅へ弔問。プライベートな空間で、安らかに眠る安倍さんとご対面。変わり果てた姿をあまり直視することはできなかったけども、なんとか御礼と、哀悼と、決意の言葉を直接かけることができた。昭恵夫人は、弔問に訪れた客人に涙顔で頭を下げて対応をされていたが、安倍さんの心友を見るや否や、感極まり、歩み寄り、そしてお互いに肩を支え合った。お二人の姿と様子からして、安倍ご夫婦と心友がいかにお互いにとってかけがえのない存在だったことか。誠に無念である。

7月11日は増上寺で執り行われた御通夜へ。家族葬とされながらも、多くの関係者が安倍さんにお別れを告げようと集まり、千人くらいは来たのだろうか。我々は昭恵夫人やご親族にご迷惑をかけてはいけないと、早々に会場を後にした。安部さんと仕事をした人たちは、みな悔やみ、嘆き合い、悲しみ合い、お互いを支え合っていた。「常に国家を第一に考えておられた」「本当に私心の無い方だった」。

7月12日は増上寺で執り行われた告別式への参列と出棺のお見送り。告別式は限られた人数のみが境内に入り、参列していた。御焼香を安倍さんの心友と、竹田恒泰さんらと共におこなった。参列者は数少ない言葉を交わすのみであったが、言葉を交わす必要がない空気感があった。

出棺前後は、増上寺の外には、人、人、人。葬儀は急に決まったにも関わらず、なぜこれだけ多くの国民が集まるのか。献花に訪れた当社の社員ともすれ違い、当社のタイの代表は在タイ日本大使館へ弔問。世界中のトップリーダーや国民が哀悼の意を示し、日本でも多くの国民がこれだけ想いを一つにしている。こんな人物が日本に他にいただだろうか。いるだろうか。

哀悼の意を示すために増上寺に集う人たち

出棺のときは安倍さんの棺が車に乗せられる場所で最後のお別れを。参列者は涙ながらにそれぞれの想いを口にした。叫ぶ人、声を絞り出す人。「よく頑張ったぞ!」「ありがとうございました・・」。

安倍さんの心友とは三日三晩、これからの安倍さん無き日本で、我々がやるべきを話し合った。だけど、憔悴しきった心友はいつも夜はお店で眠りについてしまう。その姿を見て、安倍さんが逝ってしまった意味を考える。

心友は、安倍さんに人生を捧げ、安倍さんの死は自分の死より受け入れ難いと言った。実際に命をかけて安倍さんのために戦ってきたのだから、本心である。

安倍さん、貴方に男惚れし、敬愛してきたお二人は、貴方が居ない世界に意味は無いと言っていますよ。気丈に振る舞っていますが、実際には茫然自失、憔悴しきっていますよ。お二人を置いて、なぜ。昭恵夫人を置いて、なぜ。

我々が、そして日本が、貴方に頼りすぎたからでしょうか。皆が安倍さんに甘え、安倍さんお一人に全てを背負わせ、戦わせてしまったからでしょうか。

「一人で戦ってはいけない。何故なら、その一人が倒れたらそれでお終いであるから」と、以前にある方が言っていた。

安倍さん無き日本において、有志で力を合わせてチームで戦っていくほかない。聞いている限り、見ている限りにおいて、誰か一人で穴埋めできるレベルの損失ではない。一人が倒れても、すぐ後ろには同志がいる。そういうことをしていかないといけない。特に働き盛りの我々世代がしっかりとしないといけない。一人一人が、今回ばかりは、覚悟を決めて、やれることをやらねばならない。

心待ちにしていたランチミーティングは、追悼の会となってしまった。安倍さんが座る筈だったすぐそばの席には遺影が置かれている。

ランチミーティングの席に置かれた安倍さんの遺影

同席していたある方が言った。「日本が目覚める最後のチャンスだと思う」と。

森友 由
1983年生まれ。青山学院大学卒(国際政治経済学部)、在学中に米国ワシントン大学に交換留学。1854年創業の老舗卸売業、森友通商株式会社(東京・中央区)の七代目・代表取締役社長。昨今は日本除菌連合の副会長として、国会議員約50名による超党派議員連盟「感染対策を資材と方法から考える会(代表・片山さつき)」と連携し、科学に基づいた感染症対策を推進する活動を行っている。