安倍氏襲撃の心理社会的真相②:優秀な少年が銃依存に至るワケ

安倍晋三氏の銃殺事件、未だショックから抜け出せない方もおいでかもしれません。

安倍氏のご冥福と関係者の皆さまの今後に幸がありますようにお祈りいたします。

心のケアのインフラが整っていたら…

この事件をきっかけに、警備体制、選挙活動、政治家・政策への批判活動…さまざまなものが見直されています。しかし、私は心理学者として容疑者の母親が宗教に全財産をなげうった背景から、日本の心のケアを届けるインフラ構築の見直しを訴えています。

容疑者の母親が宗教による救いを必要とした時に適切な心のケアも受けていたら、容疑者も何かが違ったはずです。

行動の背景には必ず心が在り、心が整わなければ行動も整いません。

しかし、日本では心を整える責任が個人に還元されすぎています。

本当は誰もが心がもろく、一度ひび割れると自力ではなかなか整えられないこと、そして心のケアはひび割れた心を回復させるものとしてもっと国民に届けるべきであることをご理解いただけたら幸いです。

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容疑者の「ためらいのない殺意」

さて、本当に怖い事件だったのでその真相をもっと掘り下げる必要があります。

今回は容疑者の心の闇を考察してみましょう。

sdominick/iStock

まず、人をひとり殺めるということは大変なことです。私たち人間はお互いの心に興味を持ち、気持ちを理解し合う動物です。誰かに痛みを与えた場合でも、冷静になればその痛みを感じ取れるのが人本来の姿です。

しかし、容疑者は「ためらいのない殺意」で安倍氏の急所を打ち抜きました。あなただったら打てるでしょうか?

おそらく、この記事を読んでくださっている方の多くは、仮に殺したい理由があったとしても人を簡単には殺せないのではないでしょう。私が容疑者だったら、確実にためらい、その間に警備員に取り押さえられたことでしょう。

殺意に潜むパラノイア感

容疑者はなぜ「ためらいのない殺意」を持って引き金を引けたのでしょうか? それは、あまり良く知られていない心理学用語ですが「パラノイア感」に支配されているからです。

パラノイア感とは「自分が何者かに標的にされ不当な扱いや害を与えられている」という一種の被害妄想です。心理学では割と古くから考察されていて、落ち込みやうつ病を回避するメカニズムとしても知られています(e.g.,杉山,2018)。

小田急線や京王線などで繰り返された切りつけ事件、大阪の精神科放火事件の背景にもパラノイア感があったと私は考えています。

容疑者は母親がのめり込んだ宗教団体が彼を不遇にし、そしてその宗教団体に安倍氏が協力し…と見ていたようです。実際、安倍氏と宗教団体には何らかのつながりはあったようです。

そして、この事実が安倍氏への強いパラノイア感になり、殺意を募らせてしまったようです。

何ともメチャクチャ飛躍したロジックですが、凶行に走る人の頭の中はわりとこういう事が多いです。概ね凶行を正当化する方向に動きます。

なぜなら、直感的判断を行う「皮質下回路」と呼ばれる仕組みが「まず行動を決定」するからです。その後で行動を正当化する理屈を作るからです。

凶行に納得できる理屈を求めていては、凶行の理解も、次の凶行の抑止もできません。「皮質下回路」を操っている感情と本能を理解しなければ、本当の理解にはならないのです。

パラノイア感と防衛本能

では、なぜパラノイア感が強いと「ためらいのない殺意」「ためらいのない凶行」に繋がりやすいのでしょうか?

通常、ネガティブな気分が長く続いていると免疫力や回復力が低下して、心身ともに弱ります。疲れやすくもなります。

しかし、パラノイア感は防衛本能を刺激します。すると疲れを感じにくくなり、私の研究ではさらに活動的になる可能性も示唆されています。

そして身を護るために他者を害することを厭わなくなります。すると、「ためらいのない殺意」「ためらいのない凶行」へとたどり着くのです。

容疑者のパラノイア感と被拒絶感

私の研究ではパラノイア感の背景には「被拒絶感」という心理があります。被拒絶感とは「周りから無視されている、蔑ろにされている」という感じ方です。

容疑者は、なぜ被拒絶感を強くし、パラノイア感に陥ったのでしょうか? そのヒントは中学時代にありそうです。

中学時代の容疑者は部活も勉強も頑張っていたようです。90点でも悔しがるなど誇り高い一面も報じられています。

誇り高い方は誇りを傷つけられることで強い心の痛みを覚えます。すると、誇りを傷つけた周りを、一方的に敵のように見てしまいます。

進学校の高校に進んだ後、何かが容疑者の誇りを傷つけたのでしょうか?

それは成績だったのか、校友だったのか、教師だったのか、あるいは例の母親の行動だったのか、今のところ特定は難しいです。ですが、凶行を見る限り「自分を尊重しないこの世の中は全て敵」と見えていたと思われます。

銃に誇りを託す心理

では、なぜ銃を凶器に使ったのでしょうか?

銃や刀などの武器は時に「男の誇り」のシンボルになりますが、銃派、刀派に分かれるそうです。容疑者は銃派だったらしく、失った誇りの回復を銃に託したのでしょう。住まいから銃を作っていたと思われる音がしたとも報じられています。

私はあまり詳しくないのですが、実は銃は意外と簡単に作れるようです。そしてこの銃が日本を代表する世界的に著名な政治家の命を奪う凶器となりました。

容疑者にとっては、自分の力を誇示できた瞬間だったのかもしれません。偉大とされる人物に対して一瞬ですがマウントを取れたのですから。

彼は誇らしい気持ちで満たされたのかもしれません。

しかし、それはとてつもない悲劇となりました。

優秀な中学生が、なぜ凶行でしか力を示せない人になったのか?

私は心理学者として、このプロセスの何処かで容疑者が心のケアとつながっていたら、どこかで何かが変わったのではないかと思ってしまいます。誇り高い人の多くは心のケアや相談を拒みますが、優秀でがんばり屋さんの中学生がなぜこのようなことになったのか…と思うととても残念です。

力を示す方法、誇りを回復させる方法は他にいくらでもあったはずです。しかし、彼が自力で他の方法にたどり着くことはありませんでした。

容疑者が心のケアを拒んだとしても、誰もが他者に無視されている、蔑ろにされている、と感じない社会が実現していれば、このような事件には至らなかったと思ってしまいます。

この事件、「何かが歪んだ特殊な誰かの犯行」と事件誌の片隅に留め置かないでください。優秀だった中学生が、もっとみんなに喜ばれる力の示し方を選べたならこの悲劇はなかったのです。この事件の心理社会的背景に注目していただいて、みんなが尊重されて幸せに生きられる社会を実現するきっかけにしてほしいと思います。

もっと幸せな明日を目指して、ご一緒に「心」に興味を持ってもらえたら嬉しいです。

杉山 崇(脳心理科学者・神奈川大学教授)
大人の杉山ゼミナール、オンラインサロン「心理マネジメントLab:幸せになれる心の使い方」はでメンバーを募集中です。心理学で世の中の深層を理解したい方、もっと幸せになりたい方、誰かを幸せにしたい方、心理に関わるお仕事をなさる方(公認心理師、キャリアコンサルタント、医師、など)が集って、脳と心、そしてより良い生き方、働き方について語り合っています。