今般の参院選の投票は、安倍元総理を斃した手作り銃の凄まじい轟音と硝煙が国民の耳と目に残る中で行われた。改憲勢力が勝利したその結果には、物言わぬ身となってしまった元総理の演説の続きが、投票に向かう者の心に響いたこともあったのだろう。
その死が報じられると、各野党代表者は「民主主義国の我国でこんなことがあってはならない。怒りをもって今回の行為を非難したい」(泉立憲代表)、「テロ行為は許さない」(西村立憲幹事長)、「暴力による言論封殺を許さない。民主主義への挑戦であり破壊行為だ」(維新松井代表)、「暴力や武力で封じることは民主主義国家において、あってはならない」(玉木国民民主代表)などと述べた。
安倍総理の在任中のみならず、肩書が「前総理」や「元総理」になった最近でさえ、何かにつけて「アベ」を引き合いに出し、政府与党の政策を批判している朝日、毎日、東京の「反アベ三紙」が、9日の社説の見出しやその冒頭に「暴力による民主主義の破壊」の語を使っていることにも、筆者は鼻白んだ。
民主主義を破壊する「暴力」は身体を毀損する行為に限らないからだ。『新明解国語辞典』は、「たいした理由もないのに人を殴ったり、反対意見を大勢の力で抑圧したりするような、乱暴な行為」と解説し、「暴力をふるう」「暴力肯定」「暴力政治」を例示している。「暴力マスコミ」や「暴力野党」も加えてはどうか。
それほど「モリカケ」などでの安倍元総理に対する、彼らの「火のないところに煙を立てる」式の「言葉の暴力」は執拗で、「安倍政治を許さない」や「アベ死ね」といった凄まじいのもあった。これらは「政治生命を絶つ」ことを狙った、まさに「言論テロ」と言うに相応しいものだったのではなかろうか。
他方、事件の犯人像やその動機らしきことが報じられるにつれ、「個人的な恨みが動機なら、それは民主主義の危機とは言えない」といった趣旨の意見が一部の言論人から発せられている。が、「民主主義の危機」と「民主主義の破壊」では意味が異なる。「破壊」は原因であり、「危機」は結果だ。ここを混同すると議論が迷走する。
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これを掘り下げる前に「テロリズム」の定義を考えてみたい。筆者は事件直後に数名の友人からメールを受け、多くが「警備の不備」を難じていた。が、元総理の容体が気になっている筆者は、事件の状況や原因にまで思いを巡らせる気になれず、「テロを100%防ぐのは無理」と返信して、一旦やり取りを断った。
が、直後からとっさに「テロ」という語を使ったことが気になった。なぜなら「テロは政治的なもの」との意識も頭の片隅にある。つまり、「政治的な動機」でないなら、この事件は「テロではないのか?」という自問で、それはこの事件が民主主義の「危機」か「破壊」か、の問題とも通底する。
こういう時は言葉の意味や定義を調べるに若くはない。ネットの「コトバンク」は辞書や事典の解説が一覧できる。「テロリズム」を見ると、どの解説も「政治的目的を達成するために」という語が枕になっている。
日本大百科全書:ある政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの。
ブリタニカ国際大百科事典:特定の政治的目的を達成するため,広く市民に恐怖をいだかせることを企図した組織的な暴力の行使。
世界大百科事典:組織的・集団的暴力の一形態であり,心理的威嚇や勢力の誇示といった政治的効果をねらうため,政治集団により行使される暴力をいう。
が、朝日新聞社が出版する現代用語事典「知恵蔵」の、坂本義和東大名誉教授と中村研一北大教授の手になる「テロリズム」の解説(2007年時点)だけは、これらとは次のように趣が違った。
・・近年、動機が多様化し、攻撃目標が要人から一般市民に、攻撃場所も街頭、高層ビル、航空機などに拡大。被害規模も大きくなっている。そのため暗殺、公共施設の爆破や占拠、人質を使った強要など、交戦時の戦闘行為や合法的警察行動以外の暴力行使を、広く指す。動機や目的は大別すれば・・
(1)少数個人による宗教、民族、イデオロギー上の聖戦の遂行。スリランカのタミル人過激組織によるとされるラジブ・ガンジーインド首相暗殺や、エジプトのルクソールにおける観光客襲撃事件など。
(2)差別・抑圧に対抗し、自ら不正義と考える現状を広く知らせようとする暴力行動。ペルー日本大使公邸人質事件、ケニア・タンザニアの米国大使館の爆破事件など。米の同時多発テロは(1)、(2)の要素が重なり合う。
(3)異端者や異見の主張者の暴力による排除。自集団を思想的に締め付けるための見せしめにする狙いもある。伝統批判の自由を主張する作家に対する、イスラム原理主義団体の死刑宣告など。
(4)外交的妥協政策の阻害。中東和平を推進したラビン・イスラエル首相の反対派ユダヤ人による暗殺、イスラム急進派のハマスによる連続爆破事件など。
(5)従来の枠に当てはまらない社会攻撃。米国でコンピューター社会への反乱を唱える元大学教員(通称、ユナボマー)が郵便爆弾を送り付けたり、自称「愛国者集団」が大きな政府反対の名目で連邦政府ビルを破壊するなど、先進国内の疎外を示す事件。地下鉄サリン事件も、この類型だろう。
07年の記述ゆえ事例が少し古いが、「テロリズム」は「近年、動機が多様化し」、「交戦時の戦闘行為や合法的警察行動以外の暴力行使を、広く指す」というのだ。この解説が筆者のテロ観に嵌る。とすれば容疑者の動機が政治的でないとしても、今般の事件が「テロ」であることは紛れもない。
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次にこの事件が「民主主義の破壊」であるか否かだが、動機が政治的であろうと個人的な恨みだろうと、また選挙中であろうとなかろうと、あるいは元総理であろうと1年生議員であろうと、選挙を経た民主主義社会の政治家にテロを仕掛けることは「民主主義の破壊(あるいは挑戦)」に他ならない。
が、政治家が欠けることが須らく「民主主義の危機」かと言えば、そうとは限るまい。岸田総理は14日夜、以下のように述べて、「こうした点を勘案し、この秋に『国葬儀』の形式で、安倍元総理大臣の葬儀を行うこととする」と表明した。
憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって総理大臣の重責を担い、東日本大震災からの復興や日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開などさまざまな分野で実績を残すなど、その功績はすばらしいものがある。
つまり、直前の選挙で勝利した時の総理大臣がこう述べて国葬を行うとする政治家を「現役のまま」失うとなれば、理由の如何に関わらず「民主主義の危機」になるではあるまいか。
プーチンをも含む世界中の要人から挙って惜しまれる、日本が生んだこの稀有な国際的政治家を日本国民は『国葬儀』を以って悼みたいと思う。