政治家の基礎力(情熱・見識・責任感)⑬:地方創生

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アベノミクス

2012年12月から2020年9月まで続いた安倍内閣のいわゆるアベノミクスは、第一の矢が「金融政策」、第二の矢として柔軟な「財政政策」、そして第三の矢が「構造改革」として構成されていた。この「構造改革」が、「人口減少を克服し、日本の地方経済を再活性化するための長期的展望」を示し、合わせて2014年12月に内閣承認の「包括的戦略」も取り込んでいた。

「構造改革」の主内容が「地方創生」であり、この動向に沿うように刊行された増田編(2014)では日本全国の1800余りの自治体のうち、896の自治体が数十年後には消滅すると名指しで予告された。それによって、それら自治体を中心にして「地方消滅」をめぐり全国的な論争に火が付き、「地方創生」論は脚光をあびて登場した注1)

より具体的には「まち・ひと・しごと創生法」(2014年)により、

  1. まち:国民一人一人が夢や希望を持ち、潤いのある豊かな生活を安心して営める地域社会の形成
  2. ひと:地域社会を担う個性豊かで多様な人材の確保
  3. しごと:地域における魅力ある多様な就業の機会の創出

の三位一体的な追求がなされるようになった(濱田・金子、2017a;2017b)。

(前回:政治家の基礎力(情熱・見識・責任感)⑫:コミュニティ

コミュニティのDLR理論

同じ時期までに私は、過去25年間で全国の10を超える地方都市において、近未来に確実に訪れる「少子化する高齢社会」を具体的な課題とした調査を継続してきた。そこでこの経験を活かそうとして、コミュニティのディレクション(D)とレベル(L)に社会資源(R)を加え、DLR理論としての総合化をめざすことにした注2)

図1は、コミュニティのディレクション(D)と住民の力のレベル(L)を接合して、コミュニティのDL理論を探究した鈴木モデル(鈴木、1976)を下敷きに、資源(R)としてのリーダーシップと社会資源を新しく加えた理論化の試みであった。社会的な価値がある目標の達成の手段はすべて「社会資源」とみなすので、ここでは天然資源だけではなく、地理的資源、産業的資源、歴史的資源、人的資源なども文脈に応じて「社会資源」として使っている(金子、2016)。

図1 地方創生とコミュニティDLRの関連図

コミュニティDLR理論は、日本地域社会研究の原点をなす柳田國男と鈴木栄太郎それに宮本常一の研究を出発点として、歴史的には全国総合開発計画、一村一品運動、内発的発展論、地域活性化論、そして比較コミュニティ研究などの膨大な内外の実証的な地域研究文献との接合により生み出された。

一村一品運動

1979年当時の大分県知事により提唱され、各市町村がそれぞれ1つの特産品を育てることにより、地域の活性化を図ろうとしたものが一村一品運動である(平松、1990)。これにより大分県日田市に隣接する大山町から発信された「ウメクリを植えてハワイへ行こう」は、1980年代の象徴的なキャッチコピーになった。

当時は表1のように、ほぼ日本全国で行われていて一定の役割を果たした。北海道から鹿児島県まで表現の相違はあるが、いずれもわが町やわが村の特産品を製造販売して、地域の活性化を目標とした。

表1 一村一品運動のテーマ
(注)地域活性化センター調べ
出典:平松(1990:83)

しかし、その多くが単発事例の紹介にとどまったために、その成果は普遍的な地域活性化論=創生論に育たなかった。この理由は、成功した地方事例の学術的な点検を行っていなかったからである。ここでいう学術的点検とは、たとえば使われた資源の分類、主導したリーダーシップの構造、具体的な政策とその成果の確認、他の地域も使えるような汎用性の試みなどを指している注3)

DLR三位一体の総合性

一村一品運動と同じく、地方創生の具体的事例が持つ地域の方向性(D)、そこでみられた住民力(L)と使用された社会資源(R)とリーダーシップの三位一体の総合性の解明が、今後の日本の「地方創生理論」にも役に立つと考えられる。

そのための研究の大原則は、どこにでもあるありふれた資源(R)を使い、地元の人々(L)ができるだけ関与して、まちの特性(D)を鮮明にした事例を自ら探求して、その普遍化を図ることにある注4)。この点で同業者による研究事例からも学んでいかないと、調査対象の事例の量的な不足が生じて、調査地域が偏ってしまう。

私は単なる事例紹介では研究になりえないと判断する傍ら、可能な限り公表された事例からの普遍化を心がけて、理論の汎用性を求めるという立場を標榜してきた。

多彩なR(資源)

この段階から少し前に進むと、一般に成功した地方創生のR(資源)は多彩であり、農業・農村だけから得られているわけではないことが分かる。たとえば柳田國男がかつてのべた「生産町」は、もちろん米や麦や野菜や果樹などの農業生産物も含むが、それら農産物だけに限定されるわけでもない注5)

今日的には第一次産業の農林水産商品を超えて、第二次産業に属すような数多くの製品の生産がある。さらに教育、金融、情報、医療、介護、福祉などのサービス分野を軸とする第三次産業もまた、各種サービスの生産に貢献するすべてが「しごと」を創り出す産業である。このような分類を用いると、サービス産業では生産と同時に消費がなされるので、大都市の都心に象徴的な「消費人」の姿が浮かんでくる。

2017年に長時間労働が全国的に顕在化した宅配業界では、流通業特有の再配達による労働強化を緩和する動きが普遍化した。全体としての貨物量の増加は避けがたいために、郵便局や宅配業界では、受付や仕分けの際の効率化が行われ、昼間の2時間は戸別配達をしないなどもすでに実行されている。

このような視点も、コミュニティ研究の一環として「まち、ひと、しごと」を包括する地方創生の理論化によっては有益である。

内発的発展には鉱業も寄与した

たとえば日本の産業化の歴史からも、金、銀、銅、石炭などの天然資源の鉱脈を掘り当てれば、そこに鉱業が始まり、採掘の労働者が集住し、かなりの人口集積が発生したことを知る。福岡県の筑豊地域や夕張市をはじまとする北海道の旧産炭地はその典型的な事例であり、佐渡金山や石見銀山や生野銀山など金山銀山の周辺でも類似の人口集散の歴史がある。

もちろん鉱脈が無くなったり、国内にかりに石炭鉱脈が残っていても、地下深度1㎞を超える立坑での採掘費用が割高になれば、外国産の天然資源(露天掘りの石炭、潤沢な石油、天然ガス)などによってそれはすべて駆逐される。

そうすれば、労働者が四散するので、その地域社会では急速な人口減少が発生する。日本の筑豊炭田や三池炭田さらには石狩炭田などの歴史はそれを雄弁に物語っている。それらの歴史からは、個別的な事例の解明とともに普遍的な総括を心がけたい。

「転換日本」の事例研究

個別事例の追求と普遍的総括はいわばクルマの両輪なので、内発的地域創生関連としても、世帯数が数十から数百程度の集落での創生に向けた活性化の成功事例を紹介するだけでは、今後の地域消滅と創生にとって建設的な議論とはいえない。

「地域創成」を展望して、同時に「転換日本」を展望した月尾(2017)の試みもこの文脈に位置づけられる。月尾は「国家主導の地方創生」から「地域主導の地域創生」への転換を、全国16の成功事例の紹介を通して主張した。

いずれも「転換」が強調されたが、その領域は、集落、空家、商業、施設、観光、鉄道、漁村、農村、農業、林業、漁業、離島、交通、情報、資源、医療に広がっていて、大変興味深い読み物に仕上がっている。それぞれの転換の着眼点では、リーダー(ひと)、資源(もの)、インフラ施設に大別できる。

「転換」の成功例

まず新しいリーダーの登場で「転換」に成功した事例には、集落(限界集落)、空家、商業(カフェ、レストラン)、農村(農村料理レストラン)、離島(外部人材)、資源(葉っぱビジネス)、医療(保健指導員、食生活改善推進員)の7例がある。

次に、資源の見直しや新しい活用方法が有効だった「転換」では観光(冨士宮やきそば)、漁村(塩づくり)、林業(森林資源)、漁業(定置網漁)の4例が該当する。第三には、インフラ施設の活用で「転換」に成功した事例として、水族館、鉄道(ひたちなか海浜鉄道)、農業(里山里海)、交通(コンパクトシティ)、情報(インターネット)の5例が入った。

いずれも分かりやすい説明ではあるが、リーダーが登場した背景も資質も異なり、別の地域でそれらをそのまま借用できない。もちろん資源としてもやきそばなどはどこにでもあるので、やきそばを使って地域創生を模倣しても成功しない。葉っぱビジネスも農村料理レストランでも同じ問題を抱える。

読者からすれば、執筆者が個別の成功事例を紹介したうえで、その普遍性をまとめることを求めたくなる。それがないと、成功事例が参考にはなっても、新しい取り組みへのきっかけにはなりにくい。

大局的な判断への疑問

しかし、月尾は取り上げた16の事例の共通した特徴として、「中央政府の枠組にも地方政府の政策にも関係なく、独自の発想で実施した事業が成功している」(同上:186)と述べるだけに止まり、理論化の試みを丁寧にやっていないので、せっかくの事例が活かされにくい。

そのうえで、大局的な判断にも疑問が残る。一つは、月尾が明治維新150年を「否定」するという前提を採ったことである。明治からの150年間は、「増加」「集中」「物質」「開発」「工業」であったので、これらを時代錯誤と否定して、今後は「減少」「分散」「精神」「回復」「情報」が目指すべき方向という判断による(同上:12-13)。

明治期からの歴史の止揚

これはあまりにも簡便な要約であり、現実的ではない。私は明治期からの150年間は「否定」ではなく、「止揚」する立場であるが、明治時代では50歳に届かなかった平均寿命が平成時代になると80歳を超えた一例だけでも、医療、栄養、薬、住宅環境、医療保険などの制度が「開発」され、「増加」し、「工業」によって「増加」したことが背景にあることを想定しておきたい。

乳児死亡率が150‰を超えた明治時代から、120年の平成の終わりには1.8‰にまで「減少」した理由にも、「工業」、「開発、「増加」があることを位置づけておかないと、誤った推論になりやすい(連載第4回 人口史観)。

仮にインターネットがアメリカ国防総省における「軍事利用のための先端技術」から開始されたからと言って、今日では反戦主義者もインターネットを否定することがない。デモ行進の連絡手段やその成果の伝達に、インターネットが積極的に活用される。

同じく、明治期以降の社会システムを構成する物質的な環境も文化的な伝統も一部の国民が否定したところで、大半の国民の基層には残っている。年賀状もお中元もお歳暮もバレンタインデーも強制ではないが、しっかりと日本社会システムに根付いてきた。それを拒否する自由とともに、その実践をする自由もまた現代人には存在する。

工業を否定すれば、情報はあり得ない

たとえば明治期以来の「工業」を否定して「情報」を取り上げることは、「情報」が「工業」に支えられている側面を無視したと受け止められる危険性すらある。私はもっとこれらの連続性を重視しておきたい。

さらに「地上の星」は「捨身で研磨する人間」(同上:190)が必須であるといっても、作詞作曲の中島みゆきに聞いたところでその答えは出ないはずである。ここにはリーダーシップ論という科学的な一般化が可能な分野があるのだから、それを活用して、成功事例に登場したリーダーの分類整理を行いたい注6)。なぜなら、「捨身で研磨する人間」とは実行力に富むのか、統率力に優れているのか、このようなレベルにまで降りなければ、「地上」が見えにくいからである。

月尾が紹介した成功事例は、その土地的特性と文化、および集落独自の伝統的な社会関係に制約されていることが多く、必ずしも全国レベルでの汎用性に富むとは限らない。もちろんその地域の歴史と文化を基盤にした産業活動や地域創生でなければ、結局は長続きしないし、成功する見込みも乏しいが、「地域への愛着」や「世間の流行に追従しない」(同上:188)という総括だけでは理論的には不十分である。

地方創生の193の事例から

増田がいう「選択と集中」でも、どのような集合体(機関)を選択して集中させるかは明示的ではなく、いくつかの優良事例を示しただけであったが、何を起点とした地方創生を目指すかが明らかになれば、その成功例や失敗例の検討を通じて、面づくりの可能性が探究できる。

図2は竹本(2016)が集めた193事例を4通りの主体で整理したものである。内訳を見ると、自治体主導が32.1%、コミュニティが30.1%、公益法人が19.2%、ビジネス会社が18.7%になった。

図2 地方創生の主体
出典:竹本昌史『地方創生まちづくり大事典』国書刊行会、2016年
(注)四捨五入しているので、100%にはならない。

同じく竹本の193事例から図3が得られる。これは、地方創生の方向性問題に該当する。「農業・漁業」33事例(17.1%)、「産業・商業活動」54事例(28.0%)、「まちづくり・観光」55事例(28.5%)、「環境・エネルギー」19事例(9.8%)、「学校・教育・情報」32事例(16.6%)であると読み取れる。

細かく見れば「農業・漁業」と「産業・商業」間にも「まちづくり・観光」と「「学校・教育・情報」間などにも重複するところもあったが、内容を精査して私の判断で分類した。

図3 地方創生の主体と方向
出典:竹本昌史『地方創生まちづくり大事典』国書刊行会、2016年

ある地方創生プロジェクトで主体と方向が確定できれば、その先には、①誰が動くか、②どこと繋がるか、③どこまで拡げるかを判断しておきたい。すなわち、「活発な営み」を主体が「始める」、誰かが「動く」、どこかに「繋げる」、どこまで「拡げる」が地方創生を促す動きになる。

しごとの創出に「消費」が対応しなかった

いくつかの事例を検討した結果からまとめると、現今の地方創生論の欠点の一つに「しごと」の創出が盛んに論じられながら、「しごと」が作り出す供給面の商品やサービスの需要ないしは消費への配慮不足があげられる。

「しごと」の先には供給(生産)があり、それは国民ないしは住民の需要(消費)と対応する。このメカニズムが壊れると、「しごと」が永続的になりえないから、該当する地方日本では「まち」も「ひと」も長続きしない。

産業発展の条件

産業の発展には、①土地、労働、資本、天然資源、歴史資源、②組織、リーダーシップ、③初等教育水準の向上、④高等教育の普及、⑤熟練者、専門家の存在、⑥上昇移動の機会増加、⑦高い消費意欲の住民、⑧政治の安定による社会的調整力の増大、などの相乗効果が期待されることは今も昔も同じである。

①と②による産業化は、地方創生でも消費財や嗜好品奢侈品を作り出すだけではなく、必需品や資本財を創出する。結果としてその変化は消費財にも波及する。すなわち、地方創生でも生産財、資本財、消費財などの区別が可能であり、地方創生活動でも生産財を輸出や移出して、消費財を輸入移入したりできるし、逆もまた存在する。

地方創生はMISD(ミスド)から

私は地方における定着者中心の創生を試みる条件を、

  • 「M」 モビリティ(移動と前進)
  • 「I」 イノベーション(創意工夫)
  • 「S」 セットルメント(定住と日常の絆)
  • 「D」 ディバーシティ(多様化と個性)

とする(金子、2018:209)。

地方創生の事例研究から重視しておきたい要因を、MISD(ミスド)としてまとめると、地方創生とは、多様な人材が個性豊かに活動できる環境を創り、階層移動と地域移動を促進して、地方に定着した人々の日常の中で、新しい生産、交易、消費のいずれかで創意工夫が発揮できる条件づくりをめざす運動とみなせる。

MISDのいずれかを手掛かりに地方日本の「少子化する高齢社会」への対応をめざす実践課題として、天然資源と歴史的地理的条件さらには世界遺産と日本遺産を活用し、いかにして地方創生に結びつけるか。さらにご当地ソングやドラマの撮影地などで、小さなイノベーションを誰が開始し、継続的に実行するか。そして、これらを束ねるのが政治家の仕事になる。

「計画にさいしては全体にたいする知識を育成しなければならない」(マンハイム、1935=1976:61)は当然だが、予算審議で次年度計画全体を議論することが業務である政治家もまた、「全体にたいする知識」をもつようにしておきたい注7)

佐賀県吉野ケ里町の小水力発電

世界的に「脱炭素」やCO₂排出を減らす発電が注目されている中で、佐賀県吉野ヶ里町の試みは発電最大出力30kW(平均23.5kW)の小水力発電ながら、独創性のある将来性に富む事業である。

とりわけ吉野ケ里町松隈地区の全世帯が農家で5000円、非農家で4000円の出資をした「松隈地域づくり株式会社」が事業の主体となり、建設費総額6000万円のうち2割を地区住民が負担し、残り8割が日本政策金融公庫無担保融資を受けた。事業目的も生活道路の補修や高齢者の移動手段確保など身近さに徹している。しかも事業資金としての県からの財政支援はなく、独自の調達となった。

さらに、九大とのベンチャー連携事業であるところにも発展の可能性がある。徹底したコスト管理や実行の過程では専門的な支援が必要であるから、小回りの利くパッケージ化も含めて、自治体と大学とのベンチャー事業としての先見性にも富む。

平成27年(2015年)4月から企画開始されたこの事業は令和3年(2021年)3月に最終年度を終えたが、最終年度の年間売電額は700万円前後であった。ちなみに年間総発電量は205,882kWhであり、これを1kWh34円で九電に売却すると、その売上げとなる。

今後も継続的に30kw級でも収益性が確保されるという見通しであり、この事実は事業の全国的拡大への根拠を与えるので、世界的なエネルギー供給の変動を受けて、地に足のついた地方創生の起爆剤として、大きな期待を集めると思われる注8)

写真1 「受賞」祝いの横断幕
撮影者:金子勇(2022年6月14日)

写真2 松隈小水力発電所全景
撮影者:金子勇(2022年6月14日)

写真3 松隈小水力発電所概要
撮影者:金子勇(2022年6月14日)

汎用性のある地方創生の理論

これらを手掛かりに、さらに汎用性のある地方創生の理論を目指したい注9)

創生された地域社会を評価する軸を以下に示す。

  1. 「まち・ひと・しごと」はどのようになったか
  2. まち:地域社会の構造と機能は維持されているか
  3. ひと:人口構造、人口移動はどうなったか
  4. ひと:働く人々は満足したか
  5. しごと:経済的活動は活発になったか
  6. しごと:生産、流通、消費のどの過程に動きが生じたか
  7. 健康、福祉、衛生、所得、教育、文化などの「生活の質」はどうなったか

コントの箴言

社会学の祖であるコントは、24歳のデビュー論文で、「すべての業績が、同一世代の中でも、また世代と世代との間でも関連を持っていることを、はっきりと証明した。したがって、ある世代の発見はその前の世代の発見によって用意され、また、次の世代の発見を用意する」(コント、1822=1980:94)。13回連載してきた「政治家の基礎力」としての「情熱・見識・責任感」もこれに尽きる。

そして本連載を踏まえて、過去を学び、現在を語り、未来を展望できる力量を備えた新世代の登場に期待するものである注10)

注1)岸田内閣が6月7日に発表した「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」(案)(以下、「新しい資本主義案」)では「地方創生」は取り上げられてはおらず、代わりに「デジタル田園都市国家構想」の推進が謳われている。これについては、連載11回目「資本主義のバージョンアップ」(7月2日)で取り上げた。

注2)恩師の鈴木広博士がコミュニティのDL理論を手掛けられはしたが、完成に至らず中断されたままであったために、Rを加えて汎用性を高めようとしたものである(連載第12回参照)。そしてより積極的には、通説としてのコミュニティ論に自らの事例分析の成果を盛り込むための理論化と位置づけている。

注3)特にここでは、一村一品運動で中心となったリーダーシップの研究、それにイノベーション論とコミュニティ論との接合を意味している。

注4)岸田内閣により新しい資本主義実現会議が発表した『新しい資本主義案』では、「デジタル田園都市国家」が謳われているが、「田園都市国家」の議論は皆無であり、「デジタル化」のみが先行して論じられているだけある(連載第11回目)。「地方創生」も「地域活性化」も論題にはなりえていない。

注5)柳田は、生産町、消費町、交易町という分類を行っている(柳田、1906=1991:112)。

注6)少なくとも三隅二不二の「リーダーシップのPM理論」は使いたい(三隅、1984)。単なる「人材」という表現を超えて、リーダーシップの在り方と深く関連させると、事例研究を通して発見できたリーダーシップは目標達成のための実行力として機能したのか、あるいは集合体を引っ張っていく統率力になったのかを科学的に判断できる。Pの特性の筆頭は「率先垂範因子」(initiating structure)であり、これはリーダーと集団成員との関係を組織づけ、明確にすることに関連している監督者の行動である(三隅、前掲書:156)。またMの筆頭には「配慮因子」(consideration)があり、友情、相互信頼、尊敬、リーダーと集団との間のある種の暖かさということに関連する監督者の行動である(同上:156)。そこで得られた主体がリーダーシップ論で位置づけられると、特定の地方(the region)、地域社会(the community)、都市(the city)などで「まち」づくりの方向が明らかになるからである。事例分析においても可能なかぎり汎用性を志向したい。

注7)この立場から『新しい資本主義案』における「デジタル田園都市国家」構想をみると、「地域計画」の基本が論じられていないと言わざるを得ない。

注8)紹介した「小水力発電」は、「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行」で主導された「デジタル田園都市国家」構想にも有益である。それは必ずしもデジタルを活用した発電ではないが、このような「中山間地域の集落単体」でも可能な試みであり、社会学的にみて「非同時的なるものの同時性」(マンハイム、1935=1976:26)の事例にもなる。そこではデジタルもアナログも、合理的要素も非合理的要素も相互依存しているために、一方を切り捨て、もう一方のみに依存することは賢明ではない。

注9)注1)で触れた『新しい資本主義案』では「デジタル田園都市国家構想」が論じられているが、現今の東京・首都圏への「一極集中」から「多極集中」を課題としている(新しい資本主義実現会議、2022:27)。しかしこれでは「地方」の「多極集中」が進んでしまう。この議論は50年以上も前の「日本列島改造論」辺りから続いているが、東京「一極集中」を緩和するには地方への「多極分散」しかないという模範解答がある。その一方で、地方としての北海道では札幌市、宮城県では仙台市、広島県では広島市、福岡県では福岡市という「多極集中」の弊害をどうするかという疑問が続いてきた。いわば、東京「一極集中」緩和には「札仙広福」への機能分散が合理的だが、それぞれの地元からすると、北海道の中で札幌市、あるいは福岡県のなかでの福岡市の機能拡大が続くと、北海道内や福岡県内の過疎が進むというジレンマが強くなる。もちろん宮城県も広島県も同じ事情を抱えている。

注10)「むずかしいのは、その新しい発想自体ではなく、古い発想から逃れる」(ケインズ、1936=2007=2012:45)ことである。ここでもパレートの「8020」の法則に期待して、「古い発想から逃れる」新世代が20%いれば、パーソンズAGIL図式でまとめた社会システム全分野の転換は可能だと見ておこう。

【参照文献】

  • 新しい資本主義実現会議,2022,『新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画~人・技術・スタートアップへの投資の実現』(案)同会議。
  • Comte.A.,1822=1895,“Plan des travaux scientifiques nécessaries pour réorganizer la société.”Système de politique positive.Ⅳ. Société Positive , Paris,Appendice Général.霧生和夫訳 「社会再組織に必要な科学的作業プラン」清水幾太郎編集『コント スペンサー』中央公論社、1980:51-139.
  • 濱田康行・金子勇,2017a,「人口減少社会のまち、ひと、しごと」『商工金融』第67巻第6号:5-34
  • 濱田康行・金子勇,2017b,「地方創生論にみる『まち、ひと、しごと』」北海道大学経済学部編『経済學研究』第67巻第2号:29-97.
  • 平松守彦,1990,『地方からの発想』岩波書店
  • 金子勇,2016,『「地方創生と消滅」の社会学』ミネルヴァ書房.
  • 金子勇,2018,『社会学の問題解決力』ミネルヴァ書房.
  • Keynes,j.M.,1936=2007,The General Theory of Employment, Interest and Money,Palgrave Macmillan,(=2012 山形浩生訳 『雇用、利子、お金の一般理論』講談社)
  • 増田寛也編,2014,『地方消滅』中央公論新社.
  • Mannheim,K.,1935,Mensch und Gesellschaft im Zeitalter des Umbaus,Leiden A.W.Sythoff’s Uitgeversmaatsschappy N.V.(=1976 杉之原寿一訳「変革期における人間と社会」樺俊雄監修『マンハイム全集5 変革期における人間と社会』潮出版社):1-225.
  • 三隅二不二,1984,『リーダーシップ行動の科学』有斐閣.
  • Pareto,V.,1920,Compendio di sociologia generale ;per cura di Giulio Farina.(=1941=1996 姫岡勤訳・板倉達文校訂『一般社会学提要』名古屋大学出版会).
  • Parsons,T.,1951,The Social System,The Free Press.(=1974佐藤勉訳『社会体系論』青木書店).
  • 鈴木榮太郎,1957=1969,『鈴木榮太郎著作集Ⅵ 都市社会学原理』(増補版)未来社.
  • 鈴木広,1976,『都市構造と市民意識』福岡市(非売品).
  • 竹本昌史,2016,『地方創生まちづくり大事典』国書刊行会.
  • 月尾嘉男,2017,『転換日本―地域創成の展望』東京大学出版会.
  • 柳田國男,1906=1991,「時代と農政」『柳田國男全集 29』筑摩書房:7-227.

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