なぜ「お土産」論者はキッシンジャーを誤読するのか

ロシア・ウクライナ戦争の行方について、防衛研究所の千々和泰明氏との対談とそれを補強する内容の記事を『フォーサイト』さんに掲載していただいた。

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これらの内容は、私の「お土産論」者に対する批判の説明でもある。「お土産」論者の中には、鈴木宗男氏や東郷和彦氏のように、終始一貫して「親露派」としての立場を崩していないがゆえに、ウクライナの全面譲歩を要請し続けている方々もいる。

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だが、たとえばキッシンジャー元米国国務長官のダボス会議での発言を「ウクライナに領土の割譲を求めたものだ」と断定し、「キッシンジャーのような偉い学者も領土の割譲を求めているのだ、ウクライナ人はキッシンジャーのような偉い学者の言うことを聞いて早く領土をロシアに渡して戦争を終結させろ」といった趣旨のことを公に発言してきた方々も、広い意味での「お土産」論者であると言える。

ヘンリー・キッシンジャー氏 Wikipediaより Alex Sholom/iStock

これらの「お土産」論者がキッシンジャーを誤読していることは、私が繰り返し指摘していたことだが、キッシンジャー自身も、「自分はそんなことは言わなかった」、「ウクライナは領土を割譲すべきではない」と述べて、予測していなかった「お土産」論者たちの自分の発言に対する誤解への訂正を求めている。

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なぜ「お土産」論者は、キッシンジャーを誤解してしまうのか?

ウクライナ情勢に即した形では、私の『フォーサイト』論考を読んでいただきたいわけだが、いずれにせよ日本の「お花畑」思考の限界が露呈していることは、言うまでもない。

「お花畑」思考者は、戦争の調停は、日本のような善良な第三者が誠意をもって紛争当事者に妥協を説得することによって達成される、などと思い込んでいるのである。

そのため「日本は善良な第三者として汗をかけ」、「ウクライナは妥協せよ」、「アメリカは世界支配を諦めろ」といった恐ろしく感情的な主張をしてしまう。開戦初期に見られた橋下徹氏のような「ウクライナは降伏せよ、降伏を要請しない者は全て『戦う一択』論者だ」といった乱雑な主張も出てくる。

しかし、戦争の開始がそうであるように、戦争の終結も、死活的な利益の計算によって初めて成り立つ。善良な第三者の口八丁手八丁の美辞麗句で、「ウクライナ人よ、プーチンが嘘をついているとわかっていても騙されてくれ、もう俺は日本のテレビのお茶の間で戦争のニュースを見るのは嫌なんだ」、といった説得に応じることは、紛争当事者にはできない。

戦争の原因は、多岐にわたる。政治指導者の思想や人間性も大きな要素だし、紛争当事国の歪な国家構造も重大な戦争要因だ。ただし外部者が一番考えなければならないのは、国際システムのレベルでの紛争原因の改善である。それを考えることなしに、ただ「ウクライナ人よ、プーチンに騙されてくれ」と説得しようとしても、単なる身勝手でしかない。

ウクライナは、国際的な安全保障システムに全く加わることができず、「力の空白」の状態に置かれ続け、ロシアの侵略を受けた。この状態を改善するためには、国際的な安全保障の傘をウクライナに対して提供することが、どうしても必要である。

換言すると、ウクライナが今はまだ戦争を止めることができないのは、国際的な支援を動員してロシアの脅威に対抗する実力を持っていることを見せつける必要があるからである。そうしないと将来の脅威の増大を防ぐことができない。

ウクライナは長く「緩衝地帯」であるとみなされてきたが、その状態を復活させることは、ほぼ不可能である。そうであるとすれば、ウクライナをカバーする形での積極的な国際安全保障体制が構築されなければならない。ただしウクライナのNATO加盟は、少なくとも早期の加盟は、現実的ではない。そこで代替となる国際安全保障体制が必要となる。マクロン大統領が述べている「欧州の新しい政治共同体」は、NATOでもEUでもない形で、ウクライナの安全保障を支える制度的枠組みが必要だ、という趣旨だろう。

キッシンジャーが「正統性と均衡」を語るとき、意味しているのは、「お土産と妥協」ではない。国際秩序を再構築するために、「正統性」の原則を維持しつつ、力の「均衡」によって国際秩序を支える体制を作らなければならない、ということである。

より具体的には、ウクライナを取り込んだ新しい国際安全保障の仕組みが、「正統性と均衡」の再構築を通じた国際秩序の維持にとってのカギになるだろう。

日本では、イジメの報告を受けると、被害者に泣き寝入りを強要するような解決策を求める「大人」たちが後を絶たない。ヤクザに嫌がらせされたら「お土産を貢げ」が「大人の知恵」であるかのように信じ込まれている。だが、それは、「いい加減でその場限りの近視眼的で無責任な態度をとっても、まさかお土産くらいで社会秩序は崩壊することはないだろう」、という盲目的な安心感によって成り立っている。国際社会のような本当に秩序が脆弱な社会で、主要構成員が次々とそのようなその場限りの近視眼的で無責任な態度を取り続けたら、社会秩序は崩壊する。

そのことを想像することができない「お土産」論者は、日本の「お花畑」思考の悪弊の代表者たちだと言って過言ではない。