『競争の番人』という名のドラマが今、放映中だ。いわゆる「月9」のドラマでは異例ともいえる独占禁止法(の事件)を題材とするもので、公正取引委員会スタッフの活動を中心に描いたものだ。新川帆立さんという弁護士が執筆した同名の小説がベースになっている。大学でこの分野の講義を担当している者として、強い興味をもって視聴している。ゼミで扱ったら学生は喜ぶだろう。
自由競争の結果、困る人々が出てくる。一度立場の強弱が形成されてしまうとそこからポジションをひっくりかえすことは困難だ。最初から持つ者と持たざる者が分かれていることも多い。小説やドラマでは、そんなイメージ通りの傲慢な経営者と苦労人の零細企業オーナーが描かれ、後者の立場から読者、視聴者に共感を求めるように構成されやすい。
契約の自由は、自由とはいっても虐げられる立場の人々も生み出す。「自己責任」では割り切れない何かがある。独占禁止法の中では特殊な性格を有するといわれる優越的地位濫用規制は、こうした競争社会の負の面に対する直感によく応えるものだ。冒頭のドラマでもこの規制が中心的な役割を与えられている。
独占禁止法をドラマの題材にすることの難しさは、競争社会が弱肉強食の論理で出来上がっているという(素直な)直感が、競争という手続をネガティブなものに映し出し、そこから独占禁止法に対するバイアスのかかった理解を導いてしまうことだ。しかし、競争はもちろん負の面もあるが正の面もある。自由競争のメカニズムを通じて生産性、効率性が向上するというプラスの効果である。これを正面から擁護しようというのが独占禁止法に与えられた課題だ。
生産性、効率性とはなんぞや、という基本問題について長い議論の歴史があるけれども、一般論として、競争の手続は(一定のルールの下で)経済を豊かなものにするというコンセンサスがある。独占禁止法もその1条で「公正且つ自由な競争」の促進を通じて「一般消費者の利益(の確保)」「国民経済の民主的で健全な発達」を目指すと定められている。
そこで力の強弱は自由競争の世界では当たり前で問題視するべきものではない、と考える人々も少なくない。優越的地位濫用規制に対するアレルギーを持つ人々は、そうでない人々と競争観、市場観、そして契約の自由に対する規範的感覚がおそらく異なるのである。
競争の手続が豊かな経済を導くその条件は「一定のルール」の存在である。その中心的立法の一つが独占禁止法である。独占禁止法は闇雲に競争を煽る法律ではない。
独占禁止法が日本に新自由主義(=無節操な競争社会)をもたらしたと論じているある研究者の著作を読んで驚いたことがあるが、むしろその逆で、競争の暴走を食い止め、その求められる機能を効果的に発揮できるように適正に規律するのがこの法律の役割だ。競争の促進というというよりも競争機能の確保といった方がよいだろう。ただ、自由や公正という抽象的な用語がそのコア概念になっているので、色々な立場(思想的なポジション)の人々がさまざまに語ることを許してしまった歴史があることは否定できない。
冒頭のドラマの中で、「強い人が勝って、弱い人が負ける。そんな世の中でいいのか。」「ズルした人が勝つ世の中よりましだ。」といったやりとりがある。ここは独占禁止法を理解する上で本質的な部分だ。
強い人が勝って、弱い人が負ける。これは自由競争では当たり前の論理なのだが、問題なのは、強い人(事業者)が自由市場にプラスの効果をもたらさないのに勝ち続けるプロセスの歪みである。支配的な地位にある事業者が取引相手に圧力をかけて競争制限的な排他条件や拘束条件を課す、差別的な価格設定や原価割れ販売によって競争相手を潰す。私的独占規制や不公正な取引方法規制の多くはそういった発想に基づいている。
ただ、永続的な市場支配それ自体を問題視する考え方も根強い。特に近年技術革新の目覚ましい情報産業において、市場支配が固定化しやすい構造についてさまざま議論があるところだ(イノベーションのスピードが早いのならば放っておけばよいともいえるのだが)。
「ズルするのが悪い」という表現は、ある意味絶妙な言い回しである。「答え」になっているようでなっていない。ズルとは競争の手続に反することだというのならば、確かにカルテルはズルである(冒頭のドラマのもう一つのメインテーマになっている)。
しかし伝統的な優越的地位濫用規制の考えには自然な競争の結果を矯正する発想があるので、そうするとこの規制自体がズルになってしまう。しかしそうはいわないだろう、ルールなのだから。立法によって禁止される行為を行うことがズルというのであれば、カルテルを合法化すればそれはズルにはならない。
優越的地位濫用規制については、近年、他の規制と同様の競争制限禁止の性格を持たせようといろいろ説明が試みられてはいるが、やはり他の規制との距離は否めない。この原稿の執筆現在、ドラマで展開中の下請けイジメ問題も同様だ。ズルという言葉はなかなか含蓄のある言葉だ。
ドラマのシナリオに色々指摘したいことは確かにある。例えば、このドラマについて定例会見で問われた公正取引委員会の事務総長はこう答えた(2022年7月13日付事務総長定例会見記録)。
…ドラマということもありまして、あれが全部リアルかというと、必ずしもそういうことはなく、実際の審査というのはもっと地味なものでありまして、ドラマチックな展開というのはあまりないのが実際でございます。例えば、優越的地位の濫用で苦しめられてる花屋さんの売上げデータだけを使って、そのまますぐに立件したり、それを関係人に示したりといったことは基本的にありません。と言いますのも、誰からの情報かということが分かってしまいますと、取引先に大変な不利益がかかるおそれがありますので、そういった場合には直接的にやっていかない、最終的に審査の中で御了解を得てやっていくこともありますけれども、関係人にいきなりこういう示し方はしない…。
とはいえ、この小説とドラマの存在を、この分野の講義を担当する立場としてまずは歓迎したい。独占禁止法を象徴するこの二つの規制を同時並行で扱うこのドラマと小説を、独占禁止法に初めて触れる学生の、学習の有益な資料(の一つ)にしようと私は思っている。
何よりもそれこそ「ドラマチック」にしているのがいい。「興味を持ってもらうこと」が第一なのだから。小難しい話はその後ですればいい。