大蔵省全盛期の吉野良彦元次官の死去が物語る官僚像

後輩の次官を怒鳴りつけた硬骨漢

大蔵省(現財務省)の事務次官だった吉野良彦氏が91歳で死去しました。財務省のドン(ボス)といえば、長岡実氏(事務次官を退官後、最後は東証理事長)が有名で、吉野氏はその後を継ぐドンでした。

現在の財務省の庁舎 Wikipediaより

1928年の入省、86年から二年間、事務次官を務め、「吉野悪彦(ワルヒコ)」という異名がつけられていました。最近の官僚の相次ぐ不祥事が意味する「ワル」でなく、高度の駆け引きに長けた「ワル」でした。「ワルヒコ」と呼ばれても、本人は嫌な顔をしたことはありません。

大蔵省が差配する財政から、寄ってたかってカネ(予算)を引き出そうとする政治に対して、譲って花を持たせる一方、財政の背骨は守り抜く。譲歩したようでも、長期的には財政規律に寄与させる「仕掛け」「悪知恵」が中途半端ではありませんでした。

私は現役時代、大蔵省の記者クラブを何度か担当し、吉野氏が文書課長(単なる文書でなく、官房中枢の課長)、主計局長、次官、その後、日本開発銀行総裁などを歩んでいくのを見つめてきました。

最近、官僚は政治家に顔を向け、メディアとの付き合いは敬遠する傾向が強まっています。私の頃は、財務官僚に限らず、通産(現在、経産省)官僚、日銀などと密度の濃い関係を築くことができました。相手側も積極的にメディア側に近づき、世論形成に役立てようとしていました。

「密度の濃い関係」といっても、「相手方に取り込まれる関係」にはならいよう注意を払っていました。財政論、通商政策、金融政策などを巡り、先方が我々の理解不足に憤慨すれば、こちらは政策の裏側の影の部分に迫り、追及するという関係です。

私にとっては、お互いに第一線を退いた後も、他メディアのOBを含め、吉野氏とは、会費制での会合を重ねることができました。意見が対立し、酔いが回ってくると、吉野氏は「バカもの」「ばかたれ」と怒鳴りつけるのです。われわれはそれで怒るわけではない。笑っています。

そうした会合は、コロナ危機で自粛を余儀なくされるまで続きました。そろそろ連絡を取ろうと思っていた矢先、訃報に接したのです。

後輩官僚の相次ぐ不祥事、政治に対する原則なき譲歩に、吉野氏は次官OB会で「お前たちは何をしているのか」と、怒鳴り声をあげたそうです。「石にかじりついても、知恵を働かせ。手練手管を使ってでも、筋を通すべきものは通せ」と。

時の政権に対する吉野氏の批判には激しいものがあり、「録音を取られ、外部に流出したら大事になり、財務省が逆に政治に追い込まれる」と、心配する次官OBがいたほどです。

吉野氏が現役の頃は、大蔵省は「最強の官庁」であり、大蔵大臣の人選でも、大蔵省の声が重視された時代です。その残照というべきなのが吉野氏でしょう。今や官邸が主要官僚の人事権を握っています。

消費税は89年4月に導入されました。吉野氏(その前年まで事務次官)らが竹下蔵相を動かし、税率3%でスタートしました。当初案の5%は、最後は政治的に譲歩するための「のりしろ」だったのでしょう。

所得税の減税を先行、増減税中立(相殺)などという説明も吉野氏らの「ワル知恵」の一種でしょう。譲ったと見せかけて、長期的には税率を上げて、元をとる。直接税の比率を下げ、間接税の比率を引き上げる「直間比率の是正」は早くから仕掛け、キャンペーンをはりました。

消費税導入論議の頃、吉野氏は私に「万機公論に決すべしなどというのは誤りだ」と語りました。明治政府の基本方針である「五か条のご誓文」の第一条は「広く会議をおこし、万機公論に決すべし」(人々の声を大事にして優れた意見を取り入れて政治を行う)です。

江戸幕府の倒幕、それに伴う近代化改革(いわゆる御一新)の背骨が「万機公論」で、民主主義へと連動します。今の時代に「万機公論は誤り」と言ったのがばれたら、打ち首ものです。

吉野氏は、「消費税導入のように、国民生活に直結し、様々な国民の声が噴出する政策を民主主義制度の下で実現することがいかに難しいか」を悩む中で「万機公論は誤り」と言ったのでしょう。

それから何年も経って、ある日の会合で「あの時の発言には驚きました」と申し上げると、「万機公論は誤りというのではなく、万機公論に決するふりをするのだよ。『ふりをする』。そういう意味なのです」と、吉野氏は本心を打ち明けられました。

社会的にも政治的にも、利害が錯綜する経済政策は、実現への道筋を練りに練って仕掛け方を長期的に考えておく。長距離砲、中距離砲、近距離砲を打ち、最後は接近戦に持ち込む。

「万機公論」がポピュリズム(大衆迎合主義)に流れることが多い。それだけに「万機公論で決まったようなふりをする」という吉野氏の言葉には、含蓄があります。大蔵省が「最強の官庁」と言われた時代だから、そうした仕掛けができたのかもしれません。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2022年8月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。