成功者はみんな悪党なのか:歴史家は偉人が大嫌い

豊臣秀吉の新しい伝記「令和太閤記 寧々の戦国日記」を書いたという話をある女性にしていたら、「秀吉って、醜悪で、ずる賢くて、欲張りで、女たらしだったんでしょう?」といわれた。

たしかに、最近の歴史書や大河ドラマみてたらそういうイメージだ。もちろん、秀吉の場合は、成長志向を失った日本人には魅力的でないとか、韓国への配慮という特殊な配慮もある。G20を大阪城でするのにも反対する輩がいたほどだ。

しかし、一般論として考えても、最近の歴史学者などのいうことで気に入らないのは、歴史上の人物の虚像を剥がすといって、悪い面ばかりを意地悪く描写することだ。政治家でも軍人でも経営者でも、成功した人はそれなりに魅力的だし、そうでなければ出世などできないので、おかしいと思うし、仕事や人生の参考にもならならないと思う。

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サラリーマン社会ですら、成功する人は、しない人より、人望があったり、まっとうな仕事ぶりであるのが普通で、少なくとも逆のケースのほうが多いとは思えない。

秀吉の場合でも、容貌が優れなかったのは確かだが、威厳はあったと思う。たとえば、福田赳夫元首相なんかテレビで見ると小さな田舎のおじさんがふんぞり返っているようなイメージだが、国会などで会うと、当たりを圧する威風があった。

「ずる賢くて」というのは「知恵があって」、「欲張りで」は「意欲的で」、「女たらし」も「精力的だった」を裏返して悪くいえばということに過ぎない。

最後の点についていえば、秀吉の側室集めに人妻に手を出したとかとくに非道徳的な、面はないし、それから、最近では褒め言葉にならないが、男色に興味がなかったただ一人の戦国武将という説もある。

ともかく、「明るいとか人たらしなんて嘘だ」「残忍だ」「薄情だ」など言いたい放題だが、それならどうして、異例の出世して天下まで取れたのかを説明できないのでないだろうか。

人使いのやり方としては、信長はベンチャー型で大胆に抜擢するが不要になったら切り捨て、家康は大企業型でけちだが極端な左遷なしで、戦死した部下の家族の面倒見が良い。秀吉は上げたり下げたり、名と実を使い分けたり複雑で巧妙だ。信長や家康のそれより、巧妙だ。

改易した大名を、しばらく大人しくして反省したら、再び、石高は少し減らしてでも復活させるとか、お伽衆にして、家来や領地はわずかだが、大名衆と対等、ないしそれ以上の立場で交流できるようにもした。

いってみれば、相談役にして、快適な控え室も用意するといった具合だ。その極致が、小牧長久手の戦いで反目した織田信雄が臣従したときは、いったん自分と同じ大納言にし、そのあと少し時間をおいて、自分は内大臣になるというやり方で面子を立てた。

足利義昭は、京都へ戻らせるために、九州遠征の途中に義昭の滞在している福山に立ち寄り会談し(義昭の御所を訪ねるのは避け別の場所で対応の形で会った)、秀吉の要請を受ける形で上洛させ、御所に同道して、准后という隠居後の足利義満なみの地位を与え、聚楽第では、秀吉の横に座らせることで、上下関係が不明確な形に扱った。

むかしは、偉人伝や英雄物語で、人生の目標を学んだものだが、それは前向きで有益だったと思う。「プルターク英雄伝」なくしてナポレオンは生まれなかった。

あまり、誉めてばかりもよくないが、どちらかと言えば、少しいいところに重きを置いたくらいのほうが、有益だと私は思う。