片言隻句というもの

小説家の井上靖(1907年-1991年)さんの言葉に、「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」というのがあります。ある中学校の「学校だより」(21年10月28日)には此の言に関し、次のように書かれています。

――同じ出来ないことでも、「希望を語る」ことと「不満を語る」ことは異質なことであり、一方は未来を語るのに対し、一方は今に対しての不満を語っており、両者の意識の使い方がまるで違うと思います。(中略)言霊と言う言葉があります。言葉に宿る霊の意味です。古代の日本人は言葉に宿る霊力が、言語表現の内容を現実に実現することがあると信じていたそうです。(中略)現代に生きる我々も言葉を大切に遣い、希望をもっていきたいものです。

先達・先哲の片言隻句(ほんのちょっとした短い言葉)には、大きな力が宿っているということでしょう。片言隻句は時として、個人の行動や考え方あるいは思想といったものに多大な影響を及ぼします。そういう意味で片言隻句には魂が込められており、その魂は様々な人に様々な形で響いて行くのだろうと思います。

私は、幼少期から中国古典の片言隻句に触れてきました。自分から進んで漢籍を手にしたわけではありません。父が折に触れ中国古典の片言隻句を引きながら、古典の世界へと導いてくれたのです。今にして思えば、先ず簡潔にして端的な片言隻句によって中国古典に触れたのが良かったと思います。

われわれの生きた悟り、心に閃めく本当の智慧、或いは力強い実践力、行動力というようなものは、決してだらだらと概念や論理で説明された長ったらしい文章などによって得られるものではない。体験と精神のこめられておる極めて要約された片言隻句によって悟るのであり、又それを把握することによって行動するのであります――私が私淑する明治の知の巨人・安岡正篤先生は、『照心語録』の中でこう述べておられます。

先生の言葉は全くその通りで、そうした片言隻句を頻繁に念仏のように唱えることで自身の習慣のように身に付けて行くことが大事だと思います。日頃から何事も言は行に結び付けねば無意味であり、日々の生活の中で知行合一的に事上磨錬して行くのです。

冒頭「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」という寸言も人に響きます。その真理は一つに、自分自身を律する上での大きな力になっているわけです。そういう意味では、言霊であります。「長ったらしい文章」が心の中に残り時として自分の行動規範になる等、自分を律する上で役立つといったことは殆どありません。

『酔古堂剣掃』(中国明代末の読書人・陸紹珩が生涯愛読してきた古典の中から会心の名言を収録した読書録)に、「神人の言は微。聖人の言は簡。賢人の言は明。愚人の言は多。小人の言は妄」という言葉が採録されています。「体験と精神のこめられておる極めて要約された片言隻句」は、正に此の微・簡であります。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年8月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。