日本に法治は根付くのか:ガーシー氏の話に思う --- 高梨 雄介

ガーシーという方が話題になっている。軽くWebで調べたところ、2022年7月の参議院議員選挙で当選したが、詐欺事件の被疑者だとか、逮捕を逃れるためドバイに居住しているとか、芳しくない噂を耳にする。しかし起訴されて有罪確定したわけではないようだ。つまりせいぜい被疑者に過ぎず、この時点でクロと決めつけて叩くのはいかがなものかと思う。

DNY59/iStock

「被疑者」(「容疑者」とほぼ同義)は、犯罪の嫌疑を掛けられているに過ぎない。基本的に起訴されて有罪判決が下りて初めて犯人と確定する。つまり被疑者が必ず犯人だとは限らない。「逮捕」も同様で、被疑者が逃亡したり、証拠を隠したりする可能性がある場合に一時的に身柄を拘束する手続に過ぎない。つまり逮捕されたから犯人だとは限らない。

「前科者」が嫌われるのも不思議である。前科があろうと、正当の手続によって科された刑を終えた人である。嫌う理由がない。再犯しそうだから嫌うのだろうか。しかし、法務省をはじめ各自治体の再犯防止計画を読めば明らかなように、出所者が再犯に至る大きな原因は、家を借りられない、職に就けないといった衣食住の困難にある。その困難は他ならぬ、前科者に奇異の眼差しを向ける人々が原因ではないか。

「被告人」と来れば、単に起訴されて被告になった人という意味合いでしかない。もちろん刑は確定していないから「犯人」とは限らない。もっとも、起訴されたら99%有罪とも噂されているから、厳しい状況だろう。ところで、被告人に対する「原告」が誰であるかご存じだろうか。

以上が刑事事件でよく耳にする用語だが、民事に目を向ければ、居所も資産も隠して損害賠償を踏み倒す人が少なからずいる。筆者も本人訴訟で勝訴したものの踏み倒されそうになり、やむなく弁護士を頼ったことがある。彼らは消滅時効の10年又は20年を逃げ切って、民事法の正しい手続によって確定した損害賠償請求を逃れようとする。

ちなみに、20年逃げ切っても時効を「援用」しないと損害賠償請求権は消滅しない。「援用」とは「時効なので払いません」と主張することである。払う意思があるならば、50年経っていようと時効を援用せずに払えばよい。つまり、時効で払わないと言っている連中は、もともと払う意思がなく、それを正当化するために時効制度を引いているに過ぎない。損害賠償責任を負うからには誰かに何らかの迷惑を掛けたのだろう。にもかかわらずその責任を取らずに逃げているように、筆者には映る。

さて、法を尊重するならば、遵法精神の低い者は冷遇し、遵法精神の高い者を厚遇するのが筋のように思う。「被疑者」「前科者」「被告人」には遵法精神が低い者、高い者(刑務などを通じて高くなった者)どちらもいそうである。この点においてはそこら辺にいる人と変わらない。「損害賠償を踏み倒す人」については、遵法精神が高い人は損害賠償を踏み倒さないように思うから、遵法精神が低い人が多そうである。

ところが現実には「被疑者」「前科者」「逮捕」に大騒ぎする。これは実に滑稽である。日本は仮にも法治国家なのだから、その国民が彼らを悪と決めつけて騒ぐのはおかしい。それに、法についてまるで無知を晒しているようで、格好悪い。

現在の日本法に問題が多いのは理解できる。しかし、それは違法脱法のごときを認める理由にはなるまい。問題があると思うなら正当の手続で改正を働きかければよい。そもそも、法の便益を忘れてはいないか。法が機能しているからこそ、滅多なことでは警察に殴られたりしないし、自動販売機が釣銭を返してくれるし、自動車は赤信号で停まるし、払いすぎた所得税は還付されるし、等々が保障されている。

法の便益を享受しておきながらそれを無視して、法の悪い側面ばかり見て違法脱法上等などと叫ぶのは、万引きを格好いいともてはやす小学生のようで一見可愛げはあるものの、いい加減卒業した方がいいように思う。まずは、法とは何か、何のためにあるのか、どのように働いているのかといった、法に関する基礎知識を身に纏ってはいかがだろうか。

国民がその僅かな努力を怠る限り、日本に法治は根付かないように思う。

なお、筆者はガーシー氏のYoutubeなどを一切観ていないが、国民の信託を受けて国会議員として選ばれたのだから、職責を全うしてほしいと思う。被疑者云々は事実が不明なので何とも言えない。立法府の一員としてふさわしい振る舞いを期待したい。

高梨 雄介
上智大学法学部卒業後、市役所入庁。法務関係部門を歴任して数々の例規の起草、審査、紛争解決等に携わる。現在は公共団体職員として勤務の傍ら、放送大学で心理学を専攻中。