まぐれあたりの寛大な占領政策:『長い江戸時代のおわり』

與那覇潤氏と池田信夫氏の10年ぶりの共著は「長い江戸時代のおわり(ビジネス社)」という意味深長なタイトルです。前著「「日本史」の終わり」を読まれた方は、10年前の状況を思い出すかもしれません。

長い江戸時代のおわり」の最初の章では軍事について議論されています。日本の転換点は、平成の湾岸戦争と言われています。130億ドルの戦費を出したものの、クウェートに感謝されなかったということから、現実を突きつけられました。

当時も海外から入ってくる情報と日本国内の報道のギャップは大きかったようですが、ウクライナ侵攻の報道を見るとそのギャップはさらに広がっているように感じます。

このとき日本の安全保障論争は曲がり角を迎えたはずでしたが、それから30年を経ても、進歩がなかったと言えます。起きてしまった戦争に対して、「何をすべきか」ではなく、憲法に照らして「自衛隊を派遣するのか、武力行使はできるのか」という神学論争が繰り返されています。

日本が一国平和主義の夢に浸れてきたのは、アメリカの後ろ盾があってのことでした。けれども、そのアメリカの国力は衰退してきています。

左派だけでなく、橋下徹氏など右派と思われている人も、GHQによる日本の統治が例外的に寛大だったことを忘れています。アメリカではなくソ連が日本の一部を支配していたらどのようなことになっていたか。そしてそのアメリカの統治も近年のイラクやアフガニスタンでは失敗しています。

そんな中で、日本周辺でも有事は突発的に起こる可能性が高まっています。日本人は絶対的な他者というものをうやむやに理解したまま、77回目の終戦記念日を迎えました。

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わが国の安全保障はどうあるべきか。読者であるみなさんに委ねられます。