至誠天に通ず

渋沢栄一翁曰く、「私が考えている交際の要点は、事にあたっては切実に考えること、人に対しては少しでも誠意を欠いてはならないということである。精神を集中して、相手の貴賤上下を区別せず、どんな人とでも真実に交わり、一言一句、一挙一動すべて自分の心の底から出てくるものでなくてはならない」、とのことです。そしてそれに続けては、次のように言われています――世の中で「至誠」ほど根底の力となるものはない。(中略)司馬温公が語っている。「妄語せざるより始まる」。誰であれ、人に接するにあたり嘘をつかず、すべて至誠を尽くせば失敗はない。

『論語』の「衛霊公第十五の六」に、「子張、行われんことを問う。子曰く、言忠信(げんちゅうしん)、行篤敬(こうとくけい)なれば、蛮貊(ばんぱく)の邦(くに)と雖(いえど)も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならざれば、州里と雖も行われんや」、とあります。之は、子張から「物事がとどこおらず、自分の思い通りに行うにはどうしたらいいでしょうか」と問われた孔子が、次のように答える場面です。

――言葉に真心があってたがえることなく、行動は懇(ねんご)ろで慎み深かったら、南蛮・北狄といった遠い野蛮な国でも、お前の主張は行われるであろう。その反対に、言葉に真心なく、言と行とたがえたり、行動はいい加減であったら、たとえ勝手知った郷里でさえも思い通りに事を進めることなんてできっこないよ。

人間の本質は変わりません。「至誠天に通ず」(『孟子』)・「誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり」(『中庸』)――「言忠信、行篤敬」でありさえすれば、人を動かすことが出来るのです。之は、民族・文化を超えた真理なのだと孔子は自らの体験を通し、その正しさを信じ自信を持って言ったのだと思います。

江戸時代など昔の日本を訪れた外国人達は、日本人の礼儀正しさや謙虚さ、立ち居振る舞いに驚きました。日本ほどの文明国は無い、と本国に報告した人もいます。人間の本質というのは、そういった礼儀作法や立ち居振る舞い、言葉遣い等に表れるものです。嘗ての日本人は人間学を勉強していたが故、武士のみならず農民・漁師であっても、礼がきちっと出来ていたわけです。

要するに、「人と恭々(うやうや)しくして礼あらば、四海(しかい)の内は皆(みな)兄弟(けいてい)たり」(『論語』顔淵第十二の五)、人と接するときは謙虚で礼儀正しく、真心を尽くしていると、世界中の人が皆兄弟になるのです。『大学』に、「修身、斉家(せいか)、治国、平天下(へいてんか)…身修まりて後、家斉(ととの)う。家斉いて後、国治まる。国治まりて後、天下平らかなり」、とあります。人間力を高めるとは、此の天下泰平を齎す根元「身を修める」ことに繋がっています。大事なのは人間性がどうなのか、最終その一点に尽きるのです。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年8月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。