宗教に無節操な国が宗教法人を優遇する理由

昔、友人のキリスト教の牧師から聞いた話です。近隣の人から

「交通安全のお祓いをしてほしい」

とお願いされることがあるのだそう。信徒ではなく、見かけたことがあるかな、くらいの人たち。牧師は、(お祓いではなく「祝福」なんだけどね)と思いつつ、

“神の御加護があらんことを……”

っぽいこと(筆者の印象です)を、祈り唱える。

近隣の方は、喜んで帰っていくとのこと。「遠くの成田山より近くの教会」。このエピソードからわかるのは、日本人の無節操な宗教観です。このような例は、

・幼稚園はキリスト教系、大学は仏教系
・クリスマスパーティーの一週間後、お寺に初詣
・結婚式は教会、葬式は寺

など、多くの方が思い当たるのではないでしょうか。

宗教に無節操な国、日本で、いま「宗教法人」が話題になっています。「優遇されすぎではないか」ということも論点になっています。

今回は、宗教法人の優遇と、宗教離れの問題について考察します。

宗教法人の税制面の優遇

批判の対象となっているのは、主に税制面での「優遇」です。

まず理解すべきなのは、宗教法人の取引すべてが免税ではない、ということです。

一般企業(営利法人)のような収益活動を行った場合は、課税されます。

宗教法人の活動は、宗教活動(非収益事業)と収益活動(収益事業)の二つに区分されます。宗教活動は、布施・寄付や、葬儀、法事など。収益活動は、不動産の貸付、お土産目的の物品販売、出版など。課税されないのは、宗教活動だけです。収益活動、すなわち一般的なビジネスで得た所得(利益)には税金がかかります。

しかし、この所得の課税においても、一般企業より、はるかに優遇されています。中でも影響が大きいのが、所得(利益)を「2割」減らすことができる優遇措置、「みなし寄附金」制度です。

例えば、駐車場を貸して、1000万円の所得(原価ゼロとする)を得た場合。1000万円ではなく、2割減らした800万円に対して課税されます。税率15%とすると、30万円税金を減らすことができます。

宗教法人の収益事業は、最初から2割免税されている、とも言えます。

とはいえ、収益活動を行えば税金がかかることに変わりない。だったら

(収益活動も、宗教活動「扱い」にしてしまえ)

そういった違法行為が過去に頻発しています。宗教法人が経営するホテルの宿泊料を「お布施」扱いにする。セミナーの受講料を「寄付金」扱いにする、などです。

宗教法人は善(法)人である

税制面の優遇措置の背景には宗教法人法があります。その基本理念のひとつが「性善説」です。

「【性善説】 宗教は国民の『道徳基盤を支えるもの』です。したがって、宗教法人には『非違行為』(※)はない という考え方から、財産の処分等について、所轄庁の許可等は必要ありません」(文化庁 宗教法人運営のガイドブックより)

※非違行為:法に違反すること。 違法。 違法行為

宗教は「善」かもしれない。だが宗教法人は「善」なのか? 疑問に思う人も多いのでは。これが宗教離れをもたらします。

NHK放送文化研究所の調査(「放送研究と調査 2019年4月号」)では、1998年と2018年を比較した結果、

・信仰心は薄くなり、神仏を拝む頻度は低くなっている。
・日本人の伝統的な価値観だと捉えられてきた “お天道様がみている” といった感覚を持つ人は少なくなっている。
(NHK放送文化研究所「放送研究と調査 2019年4月号」より抜粋)

とし、「宗教の形骸化・希薄化が進んでいる、となるかもしれない」とまとめました。

信仰心が薄くなっている現在。宗教法人法や、その優遇措置を見直す時期がきているのではないでしょうか。

信仰心の喪失。神も仏もないものか

コロナによる失業。値上げによる生活難。不安な状況が続く昨今。すでに「困った時の神頼み」すらできず、「神も仏もないものか」と考える人が増えている。宗教離れは、その表れかもしれません。そんな中、

「 “お天道様がみている” といった感覚を持つ人は少なくなっている」

とした上述の調査結果が気になります。

宗教離れとともに「道徳心」まで喪失しつつあるのか? いや、オリンピック招致で「日本では財布を落としても戻ってきます」とアピールした日本。宗教観は、やや無節操であるものの、道徳心は高いはず。

宗教法人は「道徳基盤を支えるもの」であってほしいと思います。