日本電産の永守重信氏はこのブログでもしばしば名前が挙がってきた日本を代表する起業家、創業者でソフトバンク孫氏、ファーストリテイリングの柳井に並ぶカリスマ経営者です。そして三氏とも後継者問題を抱えており、経営は上手くかじ取りできるものの後継者選びについては全員失敗しており、誰一人脱出計画が成功していません。
特に永守氏は後継問題で黒星を重ねていた中で日産自動車がゴーン氏に絡む経営問題でガタガタしていた際に同社の社長候補の一人だった関潤氏をさっと引き抜き、今度こそは、という意気込みでした。が、それも長く続かず、永守氏と関氏の関係はすきま風どころか突風が吹く中、関係改善は不可能なところまで追い込まれていました。
特に車載モーター事業の二期連続営業赤字が最後のボディーブローの形となり、関氏の退任が決定しました。後任には懐刀の小部博志氏を短期リリーフで投入しますが、そもそも73歳の小部氏、77歳の永守氏というツートップは組織の魅力としては残念な形だと思います。外部監査報告で一部経営者への過度の責任と権限集中という点で継続企業の注意喚起が必要だと思います。同様企業はキャノンもそうで、御手洗冨士夫氏が86歳にしてまだ社長兼会長兼CEOと全権を握っているのは信じがたい状態です。
では永守氏は何がうまくいかなかったのでしょうか?これは非常に簡単で企業文化、永守イズムを後世まで貫こうとしている点です。「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という企業理念は前世的なもので今の世代には「すぐできない、できないこともある、出来なきゃやめる」が当たり前の中で無理になりつつある理念を貫くことで損をしていると思うのです。
永守氏の場合、モーターの会社を次々と買収して今の地位を築きました。1973年に起業し、84年に初の買収をして以降、その数70社近くになります。このプロセスで見落としてはいけないのが永守氏がスーパーマンぶりでなぜ、それほど一人で仕事ができるのか、という点でした。理由はパイ生地を一枚一枚作り上げるように買収をしてはそこに精力を注ぎ、自分のものにしてから次を買収するという積み上げ効果なのです。
この話、実は私も同じように実践してきています。だから8つぐらいの事業を一人で全部見られるのです。人が永遠に生きていられるとすればこの積み上げ方式で100社でも200社でも買収し、一人で支配することは可能なのです。
ところが後継者選びというのは日本電産にしろ、ソフトバンクやファーストリテイリングにしろ既に巨大になった「暴れん坊」だということも理解する必要があります。これを外部の人に自身の全てをカーボンコピーして託そうとするのは考え方として不可能に挑んでいるのです。
例えばアメリカのGE(ジェネラル エレクトリック)が解体的出直しとなったのはなぜでしょうか?経営の神様のように言われたジェフ イメルト氏が広げ過ぎた風呂敷が畳めなかったからです。こんな事例は北米企業の事例でも数多くあります。つまり、カリスマであればあるほど企業をバトンタッチして伝承させるのは困難なのです。カリスマ経営者のクローンはいない、と断言してよいとも言えます。
伝説に残る経営者の話をしている中で自分の話をするのはおこがましいのですが、私は自分の事業を将来誰かにバトンを託す際、既に会社事業の3分割を考えています。なぜなら今の私の仕事を誰か一人に託すのは不可能なほど範疇が広すぎるのです。私がやれば解決できても他人ではできない理由は何でしょうか?経営テクニックの問題だけではなく、「あの人が言うならしょうがない」という押し込みが効くのです。あとその事業の歴史を知り、携わってきた人を良く知っていることだと思います。つまり経営者のバリューとは創業者とそうではない人では雲泥の差があるのです。中小企業が身内経営になりやすいのは創業者と創業家は近似値ですが、外部の人は評価されにくいということもあるのです。
日本電産を救う方法はあります。私なら事業を4-5つに分割し永守氏は持ち株会社から経営のにらみを利かせるのが良いと考えています。事業が大きすぎる、それを入社して間もない人に託すという発想は宝くじに当たるのを期待するほど無謀な賭けだということです。
永守イズムにこだわり過ぎてはダメで、山田流でも鈴木風でも託した方に新たな経営のストーリーを作ってもらえるよう支援をするぐらいのキャパの大きさが必要だということではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年8月26日の記事より転載させていただきました。