長州人は嫌われるが彼らが首相の時だけ日本は成功する

八幡 和郎

長州の政治家たちに厳しい批判が浴びせかけられるのは、明治時代から常にそうであるが、近代日本を創り世界の一流国にしたのは間違いなく彼らである。

これについて、「日本を超一流国にする長州変革のDNA 」(双葉新書)という本を書いたことがあるし、そのバックにある吉田松陰については、「安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか – 地球儀を俯瞰した世界最高の政治家」でも論じている。以下は、その一部である(安倍・岸・佐藤については省いている)。

山口県は、明治維新と戦後復興の時代を中心に九人もの首相を輩出してます。日本は長州人が主役である時代に上り坂になり、そうでない時代は凋落しています。

「近代日本」は世界史上で燦然と輝く存在として記憶されるだろうと思います。

19世紀の欧米各国に支配された世界にあって、西洋人でなくとも文明開化に成功すれば列強の一角を占められることを証明したのは明治日本であり、20世紀に世界革命などしなくても経済発展によって世界の主要先進国になれることを示したのは昭和日本でした。

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その時代を引っ張ったリーダーは長州人たちでした。伊藤博文、山縣有朋、桂太郎など維新の立役者たちは、おごり高ぶることなく慎重でしたが、長州閥打破といって旧い体質の武士道を信奉する人たちが力を持ったら愚かな戦争を始めたのです。

戦後日本も岸・佐藤兄弟など思慮深い政治家の時代は良かったが、彼らを権力志向で国民の気持ちを尊重しないと批判する勢力が権力をとったら転落の一途です。

長州は中世にあっては百済王家の子孫である大内氏が大陸との関係を仕切り山口は「西の京」として栄え、近世にあっては毛利氏が優れた人材登用と「尊皇攘夷」という日本国の統一と独立の維持をめざす運動の中心になって、国難を救いました。

関ヶ原から300年の雌伏ののち、幕府から理不尽な征長戦争を起こされますが、「士気横溢、敵愾の情澎湃として緊張の気二州の天地に満ち田夫野人と雖も国難に赴かんとするに至り、令せずして奮い、命せずして起ち」といわれたように、奇兵隊を先頭に四民一丸となってこれを押し返して勝利しました。幕府を最後に倒したのは薩摩ですが、藩の存亡を賭けてそれを準備したのは長州です。

維新になって、ロシア、トルコ、大清帝国などが憲政の樹立に失敗する中、伊藤博文は自らヨーロッパで学び憲法の制定と国会の開設に成功し、しかも、定着させました。現代中国は伊藤を誹謗しますが、日清戦争ののち光緒帝は伊藤を顧問に招聘して改革を実行しようとしたくらい全世界から尊敬されていました(西太后に阻止されました)。

山縣有朋は近代的な軍隊と行政機構を創り上げましたが、醒めて慎重なゆえに冒険主義者たちから忌み嫌われました。山縣が健在であれば日中戦争も太平洋戦争などあり得なかったのです。歴代最長の総理在任期間を誇る桂太郎は日露戦争の勝利を実現し、社会政策を開始して日本のビスマルクと言うべき存在です。

寺内正毅はフランスに留学し、近代的な警察・憲兵制度を日本に根付かせました。朝鮮総督として憲兵制度で強権的な統治を行ったと批判されますが、フランスでは警察の仕事のかなりがいまも憲兵隊によって担われており、戦争中の憲兵とは役割が違い、非民主的というのは誤解です。宇多田ヒカルさんの遠縁のようです。

田中義一は張作霖爆殺事件の処理で昭和天皇の逆鱗に触れて失脚しましたが、事件は長州閥の衰退のなかで関東軍が独断専行したもので、田中の責任ではありませんし、吉田茂を外務次官に抜擢したのは、この田中義一です。

菅直人の父親は岡山の人ですが、宇部市で生まれ高校の途中まで過ごしました。尊敬する人として高杉晋作と児玉源太郎を上げており、若い頃は長州人としての意識を強く持っていましたが、お遍路さんなどに出かけた頃から意識が変わったように思います。

こうした長州出身者に毀誉褒貶はありますが、たとえば、在任日数のベスト5を見ると、安倍晋三の3188日を筆頭に、桂太郎の2886日、佐藤栄作の2800日、伊藤博文の2720日と4位まで長州人が独占しています。

長ければいいというものでありませんが、高評価だからこそ長続きするのですから、人数でナンバーワンと言う以上の質の高さを日本人が認めていたと言うことでしょう。

とはいえその割には、日本人に好かれていないのは事実です。そのことについて、安倍さんと議論したことがあります。

いわゆる安倍シンパといわれる言論人でもアンチ長州の人が多いという話題だったのですが、「私は会津が悪いとか長州は正しいとか政治家だから絶対にいえないのですが、どうして長州人は嫌われるのでしょうか」と聞かれたので、「それはリアリストで義理とか情に訴えるのが好きでないからでしょう」といったことがあります。

長州人の政治家たちは、自分は世界や国家のために働いているとか、口に出すから、敬遠されるのですが、政治家は誰になんと思われようが信念をもって仕事するべきなので、愛されたいと思うようではダメだと思います。その意味で、まことに政治家向きなのです。