あるファッション誌の公式サイトに、『周囲の困った人に振り回されないようにするには?【増えてます「自分は正しい」症候群】』(21年2月10日)と題された記事があり、冒頭「相手を分析・スルーすること、そして時には、“プチ悪人”になって意地悪な見方をすることも必要です!」と書かれています。
ちなみに上記「症候群」は次の3つのタイプ、a.自分のメリットを最大化しようとする「利得型」、b.自分の価値を高めるのに必死!「自己愛型」、c.弱みがあるからこそ他人を攻撃する「否認型」、に分けられるとのことです。
私見を申し上げれば、「類は友を呼ぶ」あるいは「朱に交われば赤くなる」わけですから、先ず相手がどういう人間かを知ることに努め、その上で付き合うに足らぬと判断した人とは、シンプルに付き合わなければ良いと思います。その選択の自由は皆平等に与えられているはずです。
『啓発録:けいはつろく…幕末の先覚・橋本左内が15歳の時に自分の生き方と志を認(したた)めたもの』の五項目の一つに、「交友を択ぶ:択交友…友を選んでくだらない人間とは付き合わない」とあります。『論語』にも、「忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ…誠実に約束を守ることを第一とし、決して自分にそぐわない人とは友達となるな」(子罕第九の二十五)とありますが、正に「交友を択ぶ」ことを大切にすべきです。
また付き合う人を選ぶに、次の「益者三友、損者三友」ということが一つ大事になると思います――直(なお)きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞(たもん)を友とするは、益なり。便辟(べんぺき)を友とし、善柔(ぜんじゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり(『論語』李氏第十六の四)。
孔子曰く、「正直な人、誠実な人、色んなことに通暁(つうぎょう)している人を友とするのは有益である。こびへつらう人、あたりさわりは柔らかいが誠実さにかける人、心無く口先だけの人を友とするのは損だ」ということで、私も全くその通りだと思います。
勿論、稀に何らかの理由で選択の自由が脅かされ、望まぬ付き合いが生じることがあるかもしれません。そういった場合も自らの主体性をきちっと保ちながら、相手に振り回されることにならぬよう距離感に注意しつつ付き合うのです。そもそもが、だらだらべったりとした付き合いは基本しない方が良いと思います。「君子の交わりは淡きこと水の如し」(『荘子』)で、私は「淡交」ということが大事だと思っています。
我々は自分自身の人生を豊かにし、周りの多くの人生も豊かにすることにプラスになるような交わりのみを求めて行くべきです。「佞人:ねいじん…口先巧みにへつらう、心のよこしまな人」の類とは、何も付き合う必要などありません。人物を見極め「交友を択ぶ」のです。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年8月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。