岸田首相はルーズベルトを反面教師にするべきだ

ラジオ放送をするフランクリン・D・ルーズベルト(1934年9月)
出典:Britanica

偉大なアメリカ大統領

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言を鉄血宰相のビスマルクは残したとされるが、岸田首相はそれを実践しようとしているのか。

岸田氏は夏休み休暇に入る直前、東京駅の近くの書店にて書籍を購入した。合計10冊購入した中で筆者の目を引いたのが「フランクリン・ローズヴェルト」の評伝が含まれていたことだ。

一般的にルーズベルト(「ローズヴェルト」より「ルーズベルト」の方が定着しているため、以後「ルーズベルト」表記とする)は、大恐慌の中で米国を率い、第二次世界大戦を連合国の勝利に導いた偉大な指導者と捉えられている。ルーズベルトは米国の歴史学者が公表する大統領ランキングでは常にトップスリーの位置を占め、彼の代名詞であるニューディール政策は日本の国政政党が模倣しようとしている程に、米国を超えて、現代にまで影響力を及ぼしている。

国内外の重要な問題に直面してる岸田氏としては、特に内政面で「成功」したと目されているルーズベルトから何かヒントを得たかったのだと推測する。

だが、従来のイメージと違い、実際のところルーズベルトの業績は神話化されている感が否めない。しかも、1930年代の経済指標を見ていくと、経済政策としてのニューディール政策は大失敗だった。

ニューディール政策の実態とは?

1929年のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した大恐慌によってアメリカ経済はどん底を経験した。通説的な理解では経済を上向かせることができなかったフーバー大統領の後を受けて大統領に就任したルーズベルトが矢継ぎ早に経済対策や社会的弱者を救済する法案を可決し、米国を立ち直らせたとされる。

しかし、実際のところルーズベルトもフーバーと同様に不況から脱却するために有効な手だてが打てなかった。ルーズベルトの大統領の任期と被る1934年から1940年の間、失業率は平均して17.2%を記録した(Vedder &Gallaway, p129)。

1937年に失業率は若干の改善を見せたが、1938年に歴史家デイビット・ケネディ氏の言葉を借りれば「不況の中で不況が起り」失業率は19.3%まで上昇した(Kenndy, p350; Vedder &Gallaway, p292)。

1932年から1945年まで13年間続いたルーズベルト政権の間、株価は当時最高値に到達した1929年の数字に一度も届かず、大恐慌前の数字に株価が戻るのは1950年代まで待たねばならなかった。総個人投資額は第二次世界大戦後にやっと1929年に回復したほどに、ルーズベルト政権時には個人消費が冷え込んでいた (Higgs, p565)。

経済史家のロバート・ヒッグス氏は1930年代アメリカ経済の停滞は、むしろルーズベルトのニューディール政策の結果であるという認識を提示する。

ルーズベルトは労働者や高齢者などの社会的地位の改善、生活水準の向上を図るためニューディール政策を「実験」と称し、それを推進した。しかし、その過程で、経済活動を停滞させる様々な障壁を生み出した。

ニューディール政策の担い手となる官僚組織を肥大化させた結果、多数の規制を生み出し、企業の活動を阻害した。

また、ニューディール連合と後に呼称された民主党の岩盤支持層を形成するためのバラマキ政策の一面もあったニューディール政策は、その財源を増税に見出した。増税は、所得の生む関わらずに課された。100万ドル以上の付加所得に対する税率は1930年は25%だったが、不況から抜け出す兆しがなかったのにも関わらず1936年には79%にまでに達した (Reynolds, p169)。

不況の中でも、企業に対して賃上げを強制したことで、失業率が高止まりする状況も作った。

ルーズベルトが実施した「実験」は裏を返せば、極めて不確実性が高いことを意味した。そのため、増税や規制によって企業活動が制限され、経済動向の見通しが暗く、予想が付かないことが禍し、投資活動が著しく減退された。よって、米国の不況が必要以上に長引いた。

ポピュリスト的手法で支持を獲得

普通の政治家であれば、上記のような経済状況で大統領選に勝つことはままならない。だが、狡猾な政治家であったルーズベルトはポピュリスト的手法を用い、ピンチをチャンスに変えた。

1936年の大統領選での再選を目指し、ルーズベルトは自らの経済政策の失敗から世論の目を背けるために、財界が「経済的な専制(economic tyranny)」だと揶揄して攻撃した。同年、ルーズベルトは同じ演説の中で財界からの「憎悪を歓迎」すると豪語し、財界と「マフィア」が同等だと断罪した。これらのレトリックを駆使し、大恐慌の原因が大企業の強欲さにあると見ていた国民から支持を集めようとした。

この「敵」を作り上げ、一般市民の不満に訴える典型的なポピュリズムの手法は功を奏しした。そして、利権や富をバラまくことで形成したニューディール連合の後押しもあり、ルーズベルトは不況の中でありながら当時としては最高の得票率で勝利を収めた。

ルーズベルトを反面教師に

奇しくも、岸田首相が直面してい現状はルーズベルトが対峙していたものと類似する。現在、日本はバブル崩壊後から継続的なデフレ状態にあり、同様にルーズベルト政権下のアメリカもデフレの状態にあった。

ルーズベルトの場合、デフレの対処を著しく誤った。投資家や企業の投資を促し、物価を上昇させることに注力せず、ビジネスを敵視し、投資行動を萎縮させ、アメリカ経済を慢性的なデフレ状態に留めた。

岸田首相は逆にルーズベルトを他山の石とし、彼とは真逆の経済対策を実施するべきだ。デフレ脱却に向けて、例えば世界的に見ても高い水準の法人税率を上げるのではなく下げ、規制の温床となっている行政の縦割りなどを是正していかなければならない。

夏休みの読書を通して岸田首相は「ニューディール政策は成功した」という教訓を得たかもしれない。しかし、「新しい資本主義」政策をニューディール政策の模倣にするようなことがあれば、それは歴史の読み間違いである。

 

【参考文献】

  • Higgs, R. (1997). Regime uncertainty: why the Great Depression lasted so long and why prosperity resumed after the war. The Independent Review, 1(4), 561-590.
  • Kennedy, D. M. (1999). Freedom from fear: The American people in depression and war, 1929-1945. Oxford University Press.
  • Reynolds, A. (2021). THE ECONOMIC IMPACT OF TAX CHANGES, 1920–1939. Cato Journal, 41(1), 159-194.
  • Vedder, R. K., & Gallaway, L. E. (1997). Out of Work: Unemployment and Government in Twentieth-Century America. NYU Press. http://www.jstor.org/stable/j.ctt9qg19k