八幡和郞は『似非保守』か『愛国リベラル』か

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「視聴者から八幡氏は保守派のようなことをいっているが、実はリベラルなのでないかという疑惑があるが本当のところはどうなのか」とYouTubeの番組で聞かれたことは、『深田萌絵さんと対談:安倍さんの人柄と憎まれる理由』での冒頭で書きました。

その後、SNSなどでいろんな人からコメントいただいたりして回答したりしていたら、なかなか面白いやりとりもあったので、少しまとめて紹介したいと思います。

このテーマを政治学的に難しく議論することもできますが、今回はもう少し具体的な問題でどういう立場をとるのが保守だとかリベラルなのかといったわかりやすい視点からも論じてみます。

中道左派とは何か

私はリベラルか保守かといわれることは好みません。私の政治思想は、もともとヨーロッパの政治史を学ぶ中で形作られたものですし、自分で希望してフランスに留学して磨いたものです。

ヨーロッパの政治思想は、基本的にフランス革命のあとの議会の鳥が羽を広げたような議場で、急進派が左に、穏健派が右に座ったことに始まる、左翼と右翼というものが、基本的な分類になります。

20世紀には、左翼に社会党と共産党があり、右に保守政党があり、中間に中道派がありますが、これは、イギリスの自由党に近い本来のリベラルと、キリスト教の社会観を反映して社会福祉を重視するキリスト教民主主義のふたつの流れがあります。

また、無政府主義的な色彩の流れにある極左、保守だが民主主義や国際主義に懐疑的な極右も存在します。さらに、地域政党とか、環境主義のような単一テーマ政党もあって、それらは右とか左という分類でとらえきれません。

一方、イギリスでは、18~19世紀に貴族や地主階級を基盤とするトーリー党と、都市の商工業者などを基盤とするホイッグ党が対立し、それがやがてビクトリア女王時代にディズレーリーの保守党(コンサーバティブ)とグラッドストーンの自由党(リバラル)の対決になります。しかし、社会主義者が労働党を創ったので一時は、保守・自由・労働と三党鼎立になったのですが、自由党は左右から切り崩されて、保守・労働の二大政党の間で第三党になっています。

アメリカでは、もともとは、連邦主義者の共和党と州権主義者の民主党が対立していましたが、いまでは、民主党はリベラルといって男女や人種の平等、社会福祉や銃規制、環境保護などヨーロッパ的な考え方の採り入れを主張し、共和党はキリスト教的な家族観とかアメリカの伝統を大事にする保守政党になっています。

そうしたなかで、私はどこにいるかといえば、ヨーロッパでいえば中道左派だと思っています。フランス革命の背景となった自然法と人類普遍の人権思想を支持するのは当然です。

その当たりを、『安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか』では、チャートを使いながら詳しく説明しています。世界各国の政治地図をかなり実態に即して一枚のチャートの解説としてよくわかるように説明できているとして、自画自賛になりますが、好評です。

どのような政策が保守派?リベラル?

経済については、市場経済のメリットも世界経済の統合も大きな方向としては、支持してますが、過信もしていません。とくに現代では、GAFAなど巨大企業の制御や課税に必要性は強く訴えてます。

税金は透明性の高さを大事にしますし、その意味で消費税はもっと高くていいと思います。もともと、消費税は中道左派が創った税金です。日本で消費税が嫌われるのは、私は外国人を含めた闇社会の利益に反するので、潰したがり、本来は支持するべき庶民が反対させられていると思っています。

それから私を健全財政主義者と思っている人が多いのですが、20年ほど前には、ケインズ主義者だといわれてました。突然、MMTなど財政の健全性について極端な考え方をする人が日本だけで流行しているので、私の立場はぜんぜん変わっていないのに、緊縮派に分類されているだけです。

ただ、私はマクロ経済政策を重視してません。基本的には、①国民経済の観点からみて投資としての価値がある支出は○、価値が無い支出は×だと思います。財政支出の量だけでなく質を論じるべきです。②マクロ経済政策はマラソンのペース配分のようなもので経済成長はほとんどもたらさない。走力、体力をつけるのは賢い産業政策や人材育成、投資の質などであり、40年前あたりからの日本では、外国からとっかえひっかえ魔法の経済学をみつけては、まじめな経済運営をさぼるから、平成年間の経済成長が世界主要国最低になってしまったのです。

これと関して、私は財政規律も大事だといってるから、左寄りだといった人がいますが、政治学の常識として保守派は財政規律重視で社会主義者が赤字容認ですし、日本でも革新政党は伝統的にもいまも赤字容認です。日本の保守のなかで極端な積極財政主義の人が多くなっていますが、それは突然変異みたいなもので、本来は、保守主義ともっとも遠い経済政策です。

歴史認識とか皇室問題、防衛問題とイデオロギー

政治制度の問題についていえば、私は最近の欧米や日本は、直接民主主義に傾斜しすぎだと思います。その結果、左や右に極端にぶれるし、相互に矛盾したおかしな政策も多い。その意味で、欧米は少し穏健な権威主義的指導者に厳しすぎると思います。

フセイン、カダフィなどを除いたことは、誤りだったと思います。プーチンもウクライナ侵攻は支持できませんが、そこにいたるまでの経緯については、欧米が彼を追い込み過ぎたと思います。

フランスのドゴール主義のような、強い大統領を選んでかなり強い権限を持たすことが、とくに発展途上国では好ましいことが多いと思います。一方、着実な民主化ということは、譲れない一線です。

これも左派寄りで強い指導者もいますから、左右の問題ではありません。

日本国憲法や東京裁判については、国体維持と昭和天皇を戦犯としないこととの取引に、当時の日本政府が応じたものという受け取りです。ですから、新旧憲法は連続したもので、左の人たちのように旧憲法を悪いものとは思いませんし、右の人のように合法性に問題があるとも思っていません。

ただ、現在の日本国民の意思を反映したものにして、国民投票で確認しないままの状態を続けるのはおかしいと考えるという意味においては、改憲派に近いのは当然です。2000年に現在の憲法の条文はそのままで、「21世紀憲法宣言」を付加して、解釈についての疑義を一掃し、いくつかの新しい考え方を加えたらという案を出しています。公明党の加憲に近いですが、もう少し大胆なものです。これは憲法論と歴史認識の問題で、左右と関係ありません。

皇室の問題については、私は原則論としては、君主制は好みません。しかし、日本の場合は、万世一系の天皇のもとで独立と統一が維持されてきた歴史があり、これを失うことは国家の存立基盤を弱体化させるので維持すべきだと思いますし、君主制の基礎は前例踏襲主義であって、その変更は弱体化が不可避ですから、男系男子をできる限り維持すべきだと考えてます。個々の皇族の国民的人気など頻繁にかわるものであり、その血統だとか意向を重視することとは制度の安定には危険で、考慮あまりするべきでないと思います。これは左右の問題でなく、君主制度の本質から導きだされたものです。

防衛問題については、その重要性の認識は左右の問題とはいえません。ただ、戦後日本では、昭和の旧日本軍との距離感が左は遠く右は近い傾向にありますが、そんな事に拘るべきでありませんし、現在の日本の状況からすれば、防衛力の強化は思想にかかわらず必要です。軍事同盟については、右が否定的で左が前向きなのが普通です。ただ、左の人はアメリカとの同盟に後ろ向きである傾向は世界的にもあります。私は肯定的です。

本来は徴兵制について、左は強く支持し、右は志願兵制を好みます。日本では左が否定的ですが、これは矛盾した考え方です。私は徴兵制に現実性がないので、議論しても仕方ないと思いますが、ただ、志願兵が続々とでるような基盤は必要だと思います。

日本人は日本国家が脆弱であっては不利益を被りますから、適度な愛国心をもつことは、左右の問題では本来ありません。私は極端な国粋主義は嫌いで客観的に見た方が好きですが、いまの日本の左翼・自称リベラルの反日主義は思想の問題と関係なく論外です。

そのあたりも含めて、天皇制とか防衛問題、愛国心の問題について、世界の常識に従った考え方をしている結果、それは結果として保守派の人々と似たものになります。そのような意味で、ざっくりと、「愛国ないし勤皇中道左派」なのですが、中道左派という表現は、最近の日本では流行りませんので、ざっくりと、「愛国リベラル」だという人がいても、あまり反論しないことにしています。

日本の政治家や政党でどんなものが好きか

日本の政党とか政治家で誰に近いかといえば、とくになしです。外交問題については、安倍首相の考え方は、規格外に優れたものだと思います。また、明治維新こそが近代日本の原点だと考え長州贔屓ですから気分的に共感するものが多かったのも事実です。

その一方、経済社会観においていえば、一番共感していたのは、大平正芳さんですし、かつて宏池会に近かったのも事実です。しかし、池田さんや大平さんは国民が嫌う話も取り上げる勇気ある改革の人でした。そのような意味で岸田さんの世論迎合主義には賛同できません。

公明党については、私は宗教についての研究の成果として、創価学会は非常に良心的な優れた宗教だと思いますし、公明党も中小政党である限りは良い政党だと思います。ただ、穏健で思いきった改革に熱心とはいえません。また、大政党になったら、現在の創価学会との関係もそのままではうまくいかないとも思います。

維新については、世界的に左右とか言うことでなく、既得権益を打ち破る改革が課題なのだという認識をする政治勢力が伸長しており、そういう流れのなかで合理性がありますし、大阪での実績もあります。また、東京一極集中へもっとも果敢に戦うことも好感を持っています。ただ、私の本来の軸足からすると、やや新自由主義的過ぎます。

立憲民主党などはどうかといえば、憲法改正などを阻止することだけが目的で、与党になるつもりがないのが問題で、あるべき政権論の対象になりません。そのあたりは、また民主党政権論の形でまた論じたいと思います。

海外の政治家では、といえば、昨日、「安倍元首相は本当に世界一の政治家だったのか検証」で少し論じましたが、もう少し別の機会に深掘りしてみたいと思います。