ロシア「EU議長国チェコを狙え」:対ロシア制裁の結束を崩す工作

そのような事態が起きるだろうとは予想していたが、夏季休暇が過ぎ、9月が始まるとすぐに起きた。チェコの首都プラハで3日、約7万人が参加した大規模なデモが行われた。ロシアのプーチン大統領が軍をウクライナに侵攻させて以来、欧州各地でロシアのウクライナ侵攻に抗議するデモは開かれたが、今回のデモはロシア批判というより、「政府はウクライナ支援ではなく、国民生活の改善に努力を」というものだ。要するに、ウクライナではなく、チェコ・ファーストを叫ぶデモだった。

今年下半期のEU議長国チェコのフィアラ首相(右)とEUのフォンデアライエン委員長(中央)2022年7月1日、チェコ政府公式サイトから

ロシア軍が2月24日、ウクライナに侵攻した直後、欧州連合(EU)は「ウクライナを救え」ということで結束し、米国らと共に対ロシア制裁を一斉に実施する一方、北大西洋条約機構(NATO)はウクライナへの軍事支援を実施、ウクライナへの連帯の輪は急速に広がっていった。欧米指導者たちはロシア軍と戦うウクライナに連帯を示すためにキーウ詣をし、ゼレンスキー大統領を鼓舞してきた。

それが8月に入った頃から、祖国防衛で士気が高かったウクライナ兵士にも戦い疲れが目立ち始めた。一方、ウクライナ支援で結束してきた欧州では、プーチン大統領が天然ガス、原油などのエネルギーを武器に供給制限に乗り出してきたこともあって、エネルギー価格は高くなり、物価高騰がみられてきた。月のインフレ率は10%を超えるなど、国民の生活は圧迫されてきた。

チェコはウクライナ戦争勃発後、他のEU諸国と同様、対ロシア制裁を実施する一方、旧ワルシャワ条約機構時代の武器を提供してきた。同時に、ウクライナからの避難民を積極的に迎え入れてきた。チェコが他の欧州諸国より飛びぬけてウクライナ支援を実施してきたわけではない。

チェコでは昨年10月8、9日の両日、議会選挙(下院、定数200)が実施され、リベラル・保守政党の野党連合(Spolu)と左翼のリベラルの政党「海賊党」と「無所属および首長連合」(STAN)の選挙同盟が勝利し、野党連合のペトル・フィアラ首相を中心とした連立政権が昨年12月17日、発足したばかりだ。

そのチェコは7月1日から今年下半期のEU議長国だ。新政権は議長国として5点から成る政策課題の優先事項を発表している。第1の課題は長期化の様相を深めているウクライナ戦争への対応だ。具体的には、ウクライナへの武器供給、難民収容、経済支援を含む人道支援だ。ウクライナのゼレンスキー大統領が、「ロシアとの戦争は単なるロシア・ウクライナ戦争ではなく、独裁国家ロシアと欧州の民主国家との戦いだ」と強調してきた。フィアラ首相は当時、「ウクライナの復興とEU加盟支援は大きな課題だ」と述べている。

EU議長国は27カ国から成る加盟国の協調を促進する役割を担っている。その議長国でウクライナ戦争勃発後初めて「ウクライナよりも自国民優先を」というデモが行われたのだ。EU全体に大きな影響を与えることは必至だ。

チェコの隣国ハンガリーのオルバン政権はプーチン大統領と個別で交渉し、ロシア産天然ガスの供給増しでモスクワと合意している。オルバン首相は、「私はハンガリー国民の生活に責任を有する立場だ」と説明、厳冬で国民が暖房できないような状況を避けなければならないから、ブリュッセルの方針よりハンガリー優先の政策を実施してきたわけだ。チェコ国民はオルバン政府の政策を知っているから、「わが国もウクライナ支援ばかりではなく、国民の生活改善に力を入れるべきだ」といった声が出てくるわけだ。

ロシアのプーチン大統領はニヤニヤしながら喜んでいることだろう。ロシア国営のエネルギー大手ガスプロムは8月31日、ロシアからドイツに続くパイプライン「ノルド・ストリーム1」を経由するの欧州へのガス供給を完全に止めている。9月が始まった、学校も再開した。新型コロナウイルスの感染対策もある。そのような情況下で、チェコ国民がデモをする気持ちは理解できるが、他の国でも同じようなデモが行われれば、対ロシア制裁は効果を失っていく一方、軍事大国ロシアと戦うウクライナは苦しくなる。

ゼレンスキー大統領はロシア側に占領された領土を奪い返し、クリミア半島の奪回をも視野に入れている。米国からの軍事支援は続いているが、戦いの長期化は避けられない。戦争が続けば、家計が苦しくなる国民は増える。そうなれば、プラハ市民のようなデモが欧州各地で行われ、ウクライナ戦争はロシア側に有利となっていく、という懸念が出てくる。

その意味で、プラハ市民の4日のデモはウクライナ戦争の行方に大きな影響を与えることが予想されるわけだ。欧州はウクライナ支援を継続していくためにも、物価高騰などで苦しむ国民の救済が急務となってきた。容易ではないが、欧州はエネルギー価格高騰に対してはロシア産石油価格の上限設定など統合した政策を実施する一方、国民の経済的負担を軽減する対策を積極的に実施すべきだ。ショルツ独政権は4日、総額650億ユーロの第3家計負担軽減策を決めている。年金生活者や学生への一時金支給から電気代上限設定などが含まれている。

参考までに、プラハで7万人の大規模なデモが行われた背後には、ロシア情報機関の工作があったのではないか。独週刊誌シュピーゲル(8月27日号)は「プーチンの陰の戦士」というタイトルの記事で、「ロシアが欧州全土でハッカー、スパイ工作、サボタージュなどを行っている」と警告を発している。ロシアはEU議長国チェコの国内世論を操作し、EUの対ロシア制裁の結束を崩す工作を仕掛けてきているのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年9月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。