安倍元首相の国葬(屋山 太郎)

会長・政治評論家 屋山 太郎

安倍晋三元首相を国葬にするという。国内外も含めて安倍氏を敬愛していた人、その評判をよく聞いていた人たちは大勢いただろう。全く思想が違う“政敵”といえども敵将が大仕事をした後、無残な殺され方をすれば、思想の違いを吹っ飛ばしてまず憤激、同情するのが我々の常識だ。

あまりの大事件に驚いた岸田首相が先走って「国葬にする」と宣言したばかりに、野党は「国葬の政治問題化」に取り掛かった。どういう根拠で安倍氏を国葬にすると決めたのかと文句をつけた。法的に国葬の根拠がないから取り消せというのか。取り消せば岸田氏は世界中に大恥をかいて首相をやっていられなくなるだろう。国民も何という恥ずかしいことをするのかと顔を覆い隠すだろう。

岸田首相も含めて皆が恥をかかない方法は現状のまま落ち着かせることしかない。今後、国葬をする時はどうしても法律が必要だという人は「専門家を集めて法律を作る」仕組みにするのが聡明なやり方だが、どんな人が国葬になるのだろう。

中学時代に吉田茂元首相の国葬を経験した。私の少年時代はゴミを集めて何かの製品を作るような時代だから、国民への政府の注文は限りなく多かった。そのうるさい老人の中心が吉田茂氏だった。ワンマン振りや、「バカヤロー解散」などで、当然誰からも嫌われていると思っていた。ところが国葬の段になると個人の見直しということが起きる。新聞紙面に吉田老人の業績が述べられる。吉田氏の元気な時代はとにかくその日を「どう食うか」という時代だった。

安倍時代は憲法改正に近づいた。軍備も整えた。教育、防衛について国の改造を始めた。「アジア太平洋構想」など自由民主主義陣営という姿に世界的規模でまとまりつつある。日本の外交官だけでなく、各国の重鎮もこぞって喜んでいる。揃ってゆくべき方向を世界に示した意味では、吉田氏を凌駕している。

国葬に当たって野党の人たちは何を基準に決めるのか。目に見える数字で決めるなら、安倍元首相は衆・参選挙に続けて6回勝利した。この事をどう見るか。

6回勝ちっ放しの親分が、テロで殺されたのである。腹が立ってもここは人としての道を立て、静かに国葬に参列するというのが筋ではないか。

太平洋戦争時代、日本海軍は特殊潜航艇三隻でオーストラリアのシドニー湾軍港に攻め込んだ。オーストラリア海軍に潜航艇は撃沈された。シドニー地区海軍司令官は2艇の特殊潜航艇を引き上げ、4人の海軍軍人の遺体を「海軍葬」の礼をもって弔うよう指示した。まだ戦時中であったにもかかわらず、オーストラリア海軍は海軍葬を行い、日本軍人の勇気を讃えてくれた。この異例の扱いに戦後、兵士の母と姉ら3名が返礼に訪れた。各民族には共通の武士道が存在するのである。

国葬を政治問題にして議論するのは邪道だ。

(令和4年9月7日付静岡新聞『論壇』より転載)

屋山 太郎(ややま たろう)
1932(昭和7)年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒業。時事通信社に入社後、政治部記者、解説委員兼編集委員などを歴任。1981年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。1987年に退社し、現在政治評論家。著書に『安倍外交で日本は強くなる』など多数


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2022年9月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。