エリザベス女王葬儀の出席者と比べて、安倍元首相への国際的評価はたいしたことなかった証拠だと前首相を貶めるメディアがあるが、そんな比較をすること自体が恥ずかしい無知で、ジャーナリズムとしてのレベルの低さの証明だ。
安倍元首相の話になると、どうして、ここまで理性を失えるのだろうか。アベガーは病気かカルトかのようにもみえる。こんなこと説明するのも馬鹿馬鹿しいが、議論を整理して読者のみなさんに提供しておきたい。
葬儀の出席者は、元首かそうでないか、現役かどうか、在任期間がながいかどうかで決まるのだ。
いまからいっておくが、これかれら10年先か20年先かもっと先かは分からないが、上皇陛下にも最期の日はいつか来る。そのときに、今回安倍氏を貶めたメディアやアベガーたちは、また「エリザベス女王の時に比べて見劣りするが、これは日本の皇室が世界から尊敬されているなどという保守派の勘違いを露呈するものだ」といって嗤って皇室を貶める伏線にするつもりだろう。
もちろん、英国王より日本の天皇のほうが格上だとかいうのは誤りだが、現役の君主と退位された君主は同じでない。
現在、ヨーロッパにはスペイン、オランダ、ベルギー、それにローマ法王と前元首が存命だが、その葬儀が将来あってもエリザベス女王のような盛大なものにはならないのは、現役の元首でないからだ。
ついでだが、天皇陛下が元首かどうかとか議論したがる人がいるかもしれないが、そんなものは、憲法学者の仲間内のお遊びで、外交上、戦後ずっと天皇陛下が元首として扱われていて議論など実務上、存在しない。
たとえば、そんなことあってはならないが、岸田首相が不幸にも現役のまま暗殺されたら、安倍国葬よりは首脳が集まる。G7の首脳もすべて集まるだろう。
しかし、韓国の大統領が同じように暗殺された場合ほどにはならない。なぜなら元首でないからだ。安倍首相が米国議会で演説したときに、韓国の大統領はたびたび演説させてもらっているという人がいたが、それは元首だからだ。天皇陛下がスピーチされるというなら、喜んでただちに受け入れられるだろう。
あるいは、ローマ法王にもしものことがあっても、ヨハネ・パウロ二世のときほど来ない。これは、在任期間が短いからだ。
在位期間の長さというのはたいへん大事なものだ。君主でも大使でも序列は、在任期間の長さで決まる。これは、上記の序列の問題ともかかわる。
【付論】
ついでだが、国家元首、あるいは、君主の相互のあいだで、肩書きにおいて違う扱いは同じだ。エンペラー、キング、スルタン、アミール、グラン・デュックなどいろいろあるが、すべて同格だ。大統領と君主では君主優先と言うことはあるが、君主間では本当にそれだけだ。
だから、エリザベス女王の60周年記念のときの天皇陛下(現上皇)の序列は第九位だった(東欧などの元国王も最初の即位の時点で評価され最上位はルーマニアの元国王だった)。
皇帝が国王より上というのは、たとえば、神聖ローマ帝国で国王が皇帝から国王に任じられたとかいうときの話だ。地方銀行の会長がメガバンクの頭取より上だとかいっても意味がない。
あるいは、明治維新で日清が対等の国交を結んだあと(清国は日本は欧米と同格と扱うことにしたと言う意味)、日清戦争までは、中国の皇帝と朝鮮国王には上下関係があったから、反射的に日本の天皇と朝鮮国王は対等でなかったと言うことは言えるかもしれない。
また、現在はエンペラーを名乗るのは、日本の天皇だけだが、その前には、中央アフリカ帝国のボカサ皇帝がいたが、それと同格で英女王より上といっても意味がなかった。
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