ねずさんこと小名木善行先生と豊臣秀吉を語る➀(建設編)

小名木善行先生と「令和太閤記 寧々の戦国日記」についてYouTubeで対談しました。非常にリズムがよくて見やすいのでご覧ください。楽しいですよ。

2回シリーズですが、今回は「意外と知らない 日本の大都市をすべて作った天才武将?」というテーマで、主に江戸、大坂、京都など秀吉と都市開発がメインテーマです。

ねずさんこと小名木善行さんは、歴史を題材にした著書やブログで保守系の人を中心に人気のある方です。

ひとことでいえば、日本人ってこんなに素晴らしいのだという話が魅力的な方です。『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人1〜3巻』『子どもたちに伝えたい美しき日本人たち』『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』といった書名をみたら、お考えが分かるでしょう。

私はご存知のように、日本史にはいい時代も酷い時代もあったという話を、メリハリをつけて分析している立場ですし、幕臣がご先祖の小名木先生とは、江戸時代の評価など少し違いますが、ただ、このごろ、かつて偉人だとか英雄とかいわれた人物を、なんでもかんでも悪く言い過ぎだと思います。

政治家、経営者、軍人とか芸能人でもなんでも、成功している人はだいたい魅力的な人です。そういう意味では、小名木先生の視点は日本をおおいに明るくしてくれると思いますので、小名木先生のさまざまな本や動画もお楽しみいただければと思います。

さて、今回は対談の前半です。

まず最初は本の紹介で、寧々が現代の日本に現れて、秀吉と過ごした日々を「私の履歴書」のスタイルで描いたものである、「うっけつはるこ」さんのイラストがたくさん入っていること、本文は新聞の連載のように読みやすいが、細かい注釈が入っているので、疑問を生じても混乱しないといったことを小名木先生に云っていただいてます。

うっけつはるこさんのイラスト
「令和太閤記 寧々の戦国日記」より

そして、平成年間に中国経済が35倍に成長したのに、日本は60%成長しただけです(いずれもドル換算)。しかし、これには、前例があります。江戸時代中期の日本は鎖国などしたので新しい技術は入らず、金銀も枯渇し、人口もほとんど増えない暗黒時代でした。

それに対して、清国では康熙帝・雍正帝・乾隆帝という英主が出て、領土も広がりましたが、人口も100年で4倍になりました。平和で飢饉もなかったのです。新大陸からジャガイモ・サツマイモ・トウモロコシ・ピーナッツ・トマト、それにインディカ種の米も入ったからです。一方の日本では飢饉のためにしばしば多くの人が飢え死にしました。

日清戦争のために清のイメージは悪いのですが、それはアヘン戦争以降で、それまではまさに日本が徳川の暗黒時代、中国は清の黄金時代でした。現在の私たちは、そういう時代のはじまりにあるように思います。

秀吉の仕事で、通貨制度の確立があります。日本は室町時代に永楽通宝が輸入されてようやく貨幣の時代になります。しかし、それは、銅の塊を日本から中国に輸出して、日本にはなかった技術で銅と金銀に分離し、中国はその銀を通貨として流通させ、余った銅を銅銭にして、日本に輸出して流通させたのです。

しかし、秀吉の時代に鉱業技術が大発展して、鉱山も開発され、金銀銅を分離して取り出せるようになりました。とくに、大型の天正大判も鋳造されました。17×10cmくらいで、重さは160グラム。動画では何十万円とか言いましたが、最近は金価格が上がって140万円くらい。骨董品としては1500~1億円くらいです。

これを秀吉はなんと14万枚ほど鋳造しました。

この対談の後半では、秀吉と都市建設の話をしています。これについては、アゴラでも時々書いてますので、あまり深くは書きませんが、河口の低湿地を埋め立てて、城下町にするというのが秀吉の好みです。もちろん大阪もそうですが、江戸もそうです。

それから、秀吉の城下町では、町家は鰻の寝床です。秀吉の城下町では、道路面積を少なくして、間口が10メートル足らずで奥行きが30メートルと云った奥行きの深い店舗兼住宅が基本です。これを背中同士でくっつけます。京都の中心部では、東西70メートル、長さ150メートルくらいが道路に東西南北を囲まれた街区です。

そして、全体を御土居で囲んだというわけです。大阪でも江戸でも下町はみんなそうなってます。

秀吉は東洋のナポレオンです。すべての分野を総合設計し、近代社会を創り上げました。ぜひとも、破壊の信長でも、守成の家康でもなく、建設と創造の秀吉を復権させて、目標とすれば日本経済は甦ります。