英女王国葬は大英帝国の残像、安倍国葬は戦後政治史の一断面

The Royal Family オフィシャルサイトより

比較することの意味と無意味さ

エリザベス英国王の葬儀が19日、ロンドンのウエストミンスター寺院で行われ、日本からも天皇、皇后両陛下が参列しました。来週の27日に非業の死を遂げた安倍・元首相の国葬が行われます。

二つとも国葬(state funeral)と呼んでいますから、二つを比較してみたくもなります。比較することには意味はあるし、無意味でもあります。

国による国葬の違いを学ぶことには意味があります。一方、歴史、伝統、葬儀の位置づけがまるで違うし、英国は国家元首(国王)、日本は政治家(首相)で異次元の儀式ですから、比較することに意味がありません。

それでも比べたくなるのは、英女王の国葬がまるで映画でも見るかのように人々の関心を大きく引くつけるからです。これが結論の一つです。もう一つの結論は、エリザベス女王という威厳、尊厳、親しみやすさに溢れた国家元首(日本の場合は天皇)の姿を見て、日本でも女性・女系天皇を認めていいのではないかという願望です。

NHKの現場中継には、多くの女性記者が動員され、エリザベス女王を偲んだり、植民地にされたインドからの批判も伝えたり、いい組み合わせだと思いました。女性がどんどん登場する時代になっているのです。

天皇、皇族問題になると、思考の座標軸が時代離れしている論者ほど、大きな声を上げる。愛子さまをもっと公の場で活動してもらい、国民の共感を高める努力を皇室、宮内庁はしてほしい。

二つの国葬に戻りますと、エリザベス女王は在位70年、96歳で死去しました。国葬が行われたウエストミンスター寺院は1245年に起工され、完成した1269年以後も増改築が20世紀に至るまで続けられました。

全盛期には全世界の陸地、人口の4分の1を支配した大英帝国の世紀(パックスブリタニカ)を象徴する建造物でしょう。英国が自ら生んだ産業革命(16、17 世紀)による爆発的な発展が英国も世界を変えました。植民地からの富の収奪もあり、英国の歴史的な発展を支えました。

世界に君臨した壮大な歴史の残像がウエストミンスター寺院、荘厳な国葬でもあるのでしょう。世界最大、最高の国葬といってもいい。君主以外の国葬としては、万有引力のニュートン、トラファルガー海戦のネルソン提督、第二次世界大戦に勝利したチャーチルらが紹介されています。要するに、英国の国葬は世界史レベルで語られる。

安倍元首相の在位は、憲政史上最長の8年8か月です。旧統一教会を恨んだ男性に狙撃、死去という非業の死を遂げました。日本は敗戦国ですし、安倍氏の政治活動も国葬も「戦後政治史の一断面」と思います。

歴史な位置づけ、国家の伝統はそれぞれの国によって違いますから、それぞれの国葬はあっていい。それにしても、「英女王の優しさを忘れない」(日経)、「世界が別れ。英国の威信を内外に」(読売)、「英全土で2分、黙とう」(朝日)が女王の国葬でした。

安倍氏の国葬には、世論調査によると、過半数以上の有権者が反対しています。それを意識してか、岸田首相は弔旗、弔意の表明も求めない。旧統一教会と岸・安倍三代にわたる関係、特に安倍派に目立つ選挙協力、旧統一教会に対する不透明な処理への不信があるのでしょう。

国葬の決定にしても、あっという間に決まり、麻生・自民党副総裁の強い意向があったとか。岸田首相の政治思想の座標軸があるのか分からないうちに決まってしまった。保守派の取り込みを狙ったとか。

ネット論壇では、「反安倍派の人たちが反対。左派系メディアが煽っている」との投稿もあります。メディアが煽っただけは国葬反対が60、70%の高率に届かないでしょう。政権支持率もこれほど急落しないでしょう。

安倍氏の外交、安全保障政策には歴代の首相には見られなかった実績はあるにしても、最も近い関係を築いたのはプーチン露大統領(ウクライナ侵略戦争)、トランプ・前米大統領(選挙結果の無視、国家極秘文書の私蔵疑惑)というのでは、再評価が必要です。

アベノミクスの帰結の一つである「止まらぬ円安」で、ドル建てのGDPは30年ぶりに4兆ドルを割り込みました。世界のGDPの15%を占めていたシェアは4%に縮みました(OECD調査)。日本の地位の急激な低下です。

世界的な投資家であるジム・ロジャーズ氏は「日本は紙幣を無制限に刷ってきた。借金を返すために公債を発行するという悪循環が抜け出せない。悪循環をさらに悪化させたのがアベノミクスの金融緩和だ」(月刊文春)と酷評しています。そこまで言われているのです。

「憲政史上最長、非業の死」を錦の御旗にして、岸田政権は政治的な思惑から、急いで国葬に踏み切った。死者を弔うためには葬儀は必要であっても、国葬にするのか国民葬にするのか。説明不足でしたし、拙速な決定でした。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2022年9月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。