「力の伴わぬ正義は無力であり、正義の伴わぬ力は抑圧である」
著者は防衛大学校初代学校長の槙智雄がパスカルの言葉をしばしば引用したことを引き合いに出し、防衛大学校の原点を語る。
防大には三恩人がいるとされ、吉田茂、小泉信三、槙智雄が挙げられる。その中でも著者は槙が決定的な影響を今日の防大に残していると考え、槙イズムの解説として一章を割いている。
槙が防大に注入した精神が、英国のパブリック・スクールをモデルとしたノブレス・オブリージュ(身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという道徳感)である。そして「その後の学生たちが家訓を受け継ぐかのように、連綿と防大の精神的地層に深く固く埋め込んでいった」という。
著者は「良き防大生を育てることは、日本という国家に暮らす人々の将来の安心・安全と平和を保障し、ひいては世界平和に貢献することにつながる」と学校長としての使命を確信するに至る。
9年の在任中に3人の首相に仕えたが、その中でも故・安倍晋三氏との思い出に触れている。本書には、安倍首相の時代に卒業式の形式が変更されたことが、詳しく書かれている。
著者は「8年間、総理の方から防大側に何か要求されるようなことは一切なく、むしろこちらがお願いしたことについてはほとんど関心を持って下さった」と振り返っている。日本の大学で唯一、毎年現職総理大臣が卒業式で訓示する防衛大学校らしいエピソードである。
さて、評者が佐藤正久参議院議員の秘書として働いた6年2か月間、コロナ禍前には頻繁に横須賀へ出張していた。そのため様々な会合で、著者の挨拶を聞く機会を得た。政治家や自衛隊幹部の多くが定型の挨拶に終始する中で、著者の挨拶は大学の講義のようで、毎回聞くのが楽しみであった。
ある時著者は「アウフヘーベン(※)」に言及した。様々な議論を通して防大を更なる高みへと昇華させ、「防大を世界一の士官学校にする」と絶叫した姿を私は鮮明に覚えている。
中国研究を専門とする研究者から防大学校長へと転身した著者が小原台で過ごした9年間。70年目を迎えた防大の歴史にとって、そして著者自身にとって、この9年間はどんな意味を持ったのか。是非本書を手に取って確認いただきたい。
※弁証法の基本概念の一つ。物事についての矛盾や対立をより高次の段階で統一すること。 止揚(しよう)。
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