和田アキ子とラサール石井における人間としての尊厳

和田アキ子が、安倍元首相の国葬について、「反対の意見が出るのは仕方がないが、それでもちゃんと送り出してあげるのが、人としての思いやりかなって」といったようなことを言っている。

「こういうことはコメントしづらいっていうのはうちら、あるよね」

「全く反対じゃなくて、反対の意見が出るのは仕方がないことかなっていう」

「それでもちゃんと送り出してあげるのが、人としての思いやりかなっていうのも…。亡くなった人をなんていうか、うちらの判断で言えるっていうのは、まあ『おまかせ』でもこういうの取り上げるってめったにないんですけど、やっぱり国のことですからね。できれば本当に何もなく穏やかにあさって過ごされたら。警備の方も全国から集まってるわけですから。だからもうやると決まったら一丸となって、何事もなく穏やかに過ぎてほしいな、というのが願いですね」

といったような発言だったようだ。

そこで思い出すのが和田の1988年ソウル五輪のときのコメント。

和田の一家は総連系の幹部もいる。それでも、「韓国が発展して五輪までできるようになったことを率直にうれしい」と言って、南北どちら側の人も驚かせた。人々が人の不幸を嘲り人の成功を素直に喜ばないことは不幸だ。そのときにこういう発言には救われる。(wikiによれば和田さん自身は帰化して「飯塚現子」)

それに対して日本人とは思えないどころか人間としてどうかというのがラサール石井。

和田アキ子氏とラサール石井氏 両氏SNSより

鹿児島に行ったトラウマか何か知らないが、これでは勉強した甲斐がない。反知性と品性下劣ぶりの二重奏。

「ついにトルドーまで欠席。これが『安倍外交』の実績。世界にばら撒いた60兆円、アベノマスクの500億、国葬の16億、その金で子供の貧困を救い教育を無償化し世界平和に貢献していれば、世界中から死を悼まれる首相になれた」

「各国首脳は、安倍氏だけでなく、岸田氏にも恥をかかせて良いと考えた岸田氏の評価が非常に低いことが露呈これは深刻だ」

などと言っているが、トルドー氏はカナダで猛威を振るうハリケーン「フィオナ」への対策を理由に欠席。安倍元首相だって重要な外交日程を台風でキャンセルしているからこんなの当たり前だと少し調べたらわかる。

二階俊博氏の「終わったら、反対していた人たちも必ず良かったと思うはず。日本人ならね」という発言には、

「二階版『理屈じゃねえんだよ』あんたら理屈が嫌いなんだなあ。(国葬に反対している)国民の半分が日本人じゃないらしい」

などといっているが、二階氏は「終わったら」というのを無視。

五輪についての特捜部の動きと安倍晋三元首相の死去と、五輪汚職事件を関連付け

「安倍さんが亡くなったらすぐに捕まった。この事が全てを物語っている。こんなに分かりやすくてよいのだろうか。首を洗って待ってなきゃいけない人はまだまだいる。検察頑張れ」

とか言っているが、あの時の構図は、国立競技場問題などで独走する森氏や前川喜平など文教マフィア対して安倍内閣が必死になって経費節減を押し込んだのであって、安倍氏と森氏は同じ側ににいなかった。

同じ大阪生まれでも、和田アキ子との対比が目立つ。国籍や民族を超えた人間の値打ちの出来不出来の差だ。ちなみに和田さんは天王寺区舟橋町、ラサール石井は住吉区の高級住宅街帝塚山の出身だ。