ノーベル賞ウィークが始まります。報道を見る限り今年は例年にも増して各分野「候補者」がずらりと並んでおり、数年前にいわれた「ノーベル賞受賞者が日本から消える日」というのは杞憂に過ぎないと思わせるほどです。結果はどうなるかわかりませんが、基礎研究分野などを積み重ねている日本人のDNAはしっかり繋がっていることを確信しました。
研究者のイメージは研究室に閉じこもって自分の世界に浸っていると思われますが、私が知る限り真逆で、これほど外の世界との激しい競争にさらされている分野も少ないと思います。論文掲載は英語で行い、学術誌にいかに掲載され、自分の研究内容と成果をアピールするかはマーケティングの世界と言ってもよいでしょう。学会などでの積極的な発表、討論、出席者との交流など世界の最先端の頭脳を相手に日々戦わねばなりません。
日本は研究論文の数が減ってきたとされます。数は確かに大事ですが質の良い研究とその成果の水平展開も重要です。研究者向けの研究開発費予算のゼロの数が一つ、二つ足りず、頭脳流出を招いているケースもあると理解しています。日本経済の足腰は盤石というならその分野になぜもっと予算を配分しないのか、これは改善の余地があるでしょう。一部の議論では「あんな学者に金を出すのか?」という声もあるようですが、10人が10人とも期待通りの成果を上げることなどありません。その中から一人でも優秀で世界に名が知られる研究者が出れば素晴らしいことです。政府は優秀な人材を輩出するための発想を少し変えた方がよいと思います。
さて、優秀な人材はノーベル賞候補者ばかりではありません。私は今週、2人のOutstandingな方と接する機会がありました。お話を伺って私は衝撃に近い感動を持ちました。そしてその才能をもっと磨いて新たなリーダーに育てたいと強く感じています。
お2人は若い女性、特に1人は高校2年生です。高校生の彼女は今週、突然Eメールを送ってきました。当地に留学していてその先生の一人が私のブログを読んでくださるそうでそれがご縁となりました。英語で長文の自己紹介、そして最後に自分の英語の力を見せたくて英語で書かせて頂きました、とあります。非常に素晴らしい内容と英文能力で是非、話を聞いてみたいと即座に思い、オンラインでの会談が実現しました。
1時間強の会話では圧倒する精神力と向上心、そして次の明白な目標と自分のやりたい具体案をパワポを使いながらそれをどうやって掴み、具現化するかという相談でした。「お前、高校生の夢物語に甘いのではないか」とご指摘を受けるかもしれませんが、私も長い海外生活、そして数多くの若者との接点を持ち続てきた中でここまで明白な立ち位置を示した若者はいません。断じてNO1です。「気が強いだけだろう」という見方もあります。しかし良い意味での気の強さは賞賛すべきものです。
もう一人の若い女性の方も人生の歩み方が他人に迎合されないタイプです。最近私の周りで見かけるようになった大学卒業後、日本で就職せずに海外にきたパタンです。しかし、その彼女も当地で会計士の資格を取り、ローカルの一流会社で極めて高いレベルの業務を行っている話を聞き「良かった、日本人はまだいけるぞ」と実感しました。この彼女の場合は努力家そのものです。その努力の積み上げスピードが他の人の数倍でブレイクスルーを何度も勝ち抜いてきている、そんな精神力を見せつけられました。
今日のタイトルは「優秀な人との出会いこそ我が悦び」です。まるで一線を退いた老兵のつぶやきのようですが、実は私こそ、勇気をもらうのです。このような刺激はどのような栄養ドリンクより自分を覚醒させます。体が動く限り、頭脳が廻る限り道を切り開くことは私自身のためのみならず、社会還元になるというのは以前にも申し上げた通りです。
「公人」という言葉があります。狭義では役人や政治家などパブリックサーバントを指すのですが、広義では社会的に影響ある人を指します。私は「万人が公人であれ」と申し上げたいと思います。地球上にいるすべての人は社会的責任を持ちながら共生していることを考えれば一定の公人たる役割は持っているのだろうと思います。とすれば私の公人としての役割はより良い社会を生み出すためのバトンを繋げることだと明白な考えを持っています。
そのような立ち位置の中で優秀な方々の活躍ぶりを見るにつけ、自分も負けていられないと奇妙な雄たけびを心の中で発してしまうのです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年10月2日の記事より転載させていただきました。