日本人がなぜ、マスクを取れないのか考えたことがありますか?

今週号の日経ビジネスの特集が「孤独が会社を蝕む リモート時代の幸福経営」です。非常に興味深く読ませて頂きました。前半の「リモートワークこそがあなたを蝕んている」という点については至極同意します。私がリモートワークが全盛になり始めた時から「違う!」と断言してきたことと一致しています。こういうことはある程度時間が経たないと統計的、科学的検証ができないので既に時遅し、という気がしないでもありません。

一方、孤独があなたを蝕むのか、と言えば私はそもそも日本社会が共同生活、共生が前提の中で所属意識が異様に強いことに長年、違和感を持っていました。要するに私は群れるのが苦手なのです。だから10代の頃から自分を犠牲にしてまでもどうしても仲間とくっついていたいという気持ちは微塵もなかったのです。かといって友達がいなかったわけではなく、今日に至るまでごく普通に多くの方と普通の接触をしています。

先日、高校のクラス会がありました。昼の12時から夕方6時まで延々、駄話をしていたのですが、このクラスの集まりはほぼ年に一度、そして幹事がいつも私に気を使ってくれて帰国に合わせて招集をしてくれるのです。だから半分のメンバーは常連。そして時として高校卒業以来初めて会う人もチラチラいるわけです。では、私はそこに所属意識を持っているかといえばそうではなくて学生時代までの関係は「損得勘定なしで付き合えるいいやつばかり」なので最もリラックスできるときを求めて積極参加しているというスタンスです。つまり自分から「入れて!」と参加申し込みをしているのです。

孤独は怖いか、と言えば共生を当然としてきた人には恐ろしく怖いものだと思います。ではお前はなぜ、孤独を感じないのか、と言えば私のような破天荒な生き方をしているからこそ孤独になることが一度もないと申し上げましょう。

孤独はあなたを蝕むものではない、立ち上がるきっかけだ

私が2004年に会社買収をした時、それまでのサラリーマン社長からオーナー社長に変わったわけですが、その際に以前の会社の仲間から「抜け駆けだ」と非常に冷たい仕打ちを受けました。ですが、私は「寂しい」とは全く思わなかったのです。「社長は孤独なもの。ならば外にいるほかの社長とつるもう!」でした。つまり自分をどんどん外に追いやっていったのです。そこから展望がどんどん広がります。多方面に興味があったし、いろいろな人とディベートしたりその人達のうんちくを聞くのも大好きでした。そうやって付き合いの幅を二次元方向だけでなく三次元的に広げたわけです。つまり大臣や政治家からぷー太郎、ルーザーまでです。そうすれば私のことなど誰もほっときやしません。

リモートワークの弊害について日経ビジネスの記事に「脳トレ」で有名な川島隆太 東北大学加齢医学研究所所長のインタビュー記事があります。これがこの特集の肝でそれはたったこの一言に集約できます。「対面で会話をしている時には話が盛り上がるとどんどん(脳の活動と)同期が高まっていくのに対して、オンラインの場合には、会話は続いているのに、全く同期しないということが分かりました」です。

この意味を私なりに平易に言い換えるとオンラインの場合、ファクトだけを追うため「やれ」といわれ「はい」という関係が強く出てしまい、それをやる意義を考えなくなるのです。つまり条件反射に近いものです。この話は私がこのブログを書き始めた頃に次のようなことを書いていたのですが、ご覧になった方もあるかもしれません。それは「携帯のテキストはあなたを阿呆にする」です。

1行テキストは表面的なやり取りに留まり、それをYES,NOで答える、あるいはいいね、とかまじで?という非常に簡単な感情表現にとどまります。これは脳までその情報を伝えることなく、思考していないため、脳を使って考えることが無くなる、よって人間が動物化しやすくなる、というものでした。

リモートワークはこれに近いものがあるということを川島教授が指摘してくれたわけです。これは極めて重要なポイントでリモートすることであなたをどんどん孤独に追いやるわけです。中高生も最近はテキストのやりとりが増えているはずですが、これが孤独感を生み、仲間割れやいじめがさらに増える原因を作ります。

よって我々がやらなくてはいけないことは現代のツールに頼り過ぎず、人間が本来持っている人と人の接触を意識的に増やしていかねばならないということなのです。

ところで日本人がなぜ、マスクを取れないのか考えたことがありますか?それは顔を見せたくないのです。あくまでもあなたの存在はマスクに隠された自分であり、テキストやメール、オンラインで多少の社会との接点を維持していればよいという深層心理が隠されていると思います。

これは心臓が止まるほど恐ろしい社会現象であり、日本人が真の意味で共生できなくなる道を歩んでしまうような行為だ私は思っています。

では今日はこのぐらいで。

francescoch/iStock


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年10月10日の記事より転載させていただきました。