イラン「へジャブ騒動」で報じられないクルド問題

イランでへジャブの”不適切な着用”を巡り拘束された女性が死亡した事件をきっかけにイラン各地で抗議運動が発生してから、早1カ月が経とうとしている。抗議は全国津々浦々に広がり、筆者の知人が住む北ホラーサーンの田舎町にも及んでいるという。

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イラン人権団体による最新のまとめによれば、すでに200人近い犠牲者が出ているが、抗議の炎は一向に鎮まる気配はなく、さらに勢いよく燃え盛っているように見える。

中東問題に接する者として事態の推移を注視する一方、当初から日本での報道には違和感を抱いていた。というのも、今回の抗議運動のきっかけである死亡した女性がクルド人という決定的な情報が抜け落ちているからである。

主要な海外メディアは「クルド人の22歳女性~」と必ず紹介している。女性の名前である「マフサ・アミニ」についても、実は出生時に届けを出されたのはクルド名の「ジナ・アミニ」であり、当局によりペルシャ語名に無理やり変更させられたということも海外では広く報じられている。

抗議参加者のシュプレヒコールとしてよく報じられる「女性 生命 自由」というスローガンについても、これまで主として各国のクルド人を中心に叫ばれてきたものであった。シリアなどでの女性兵士が有名になるなど、クルド人はどの中東諸民族よりも女性の解放問題を重視してきたことが背景にある。

抗議運動の発端についても、日本で報道されているほど単純なものではない。ジナ氏が死亡したのは、コルデスタン(クルディスタンのペルシャ語転訛)州で、文字通りクルド人住民が多数を占める地域だ。クルド人地域はイランの中でも官憲の暴力に由来する死者が多く、市中で公開処刑が頻繁に実施されることでも悪名高い。

「クルド人だから暴行されて死亡した」というストーリーが多くの住民の怒りに火をつけたのは疑いようがない。抗議運動がイラン全土に広がる過程で、イラン国民の多数派であるペルシャ人も共感するところのへジャブを巡る議論が主要な論点となったのである。

今回の抗議運動の重要な点として、3年前の全国規模のものと同様に震源地がクルド人地域であることだ。それだけ、クルド人などの少数民族地域はイランの矛盾が詰め込まれた場所と言える。今回は、3年前の大規模抗議運動以来顕著になってきた、若者による最高指導者、体制への挑戦的態度が目立つ。

イランでは「〇〇に死を」というのが、抗議の際の定型表現だ。従来、その対象は「アメリカ」「イスラエル」となるのがお約束であったが、3年前からイランではあるまじき「ハメネイ(最高指導者)に死を」と叫ぶことが当たり前となってきている。

イラン反体制派によると、政権側民兵「バシージ」の有力者が、学生たちを諭すためとある学校に出向いたところ、逆に袋叩きに近い状況に追い込まれるという事態も起きた。バシージはあの革命防衛隊に次ぐ、泣く子も黙る体制の暴力装置である。それがこのように侮られているとなると、いよいよパフラヴィ(パーレビ)王朝末期、1979年のイラン革命同様の事態が近づいてきたと見る向きも少なくない。

体制転換が視野に入る時、少数民族の役割、地位は注目されるところだ。この抗議運動が鎮圧されるにしろ、発展するにしろ「クルド」というキーワードは押さえておきたい。