なぜ憲法に自衛隊の明記が言われるようになったのか

潮 匡人

善が怠れば、悪が栄えるーーこれは「保守主義の父」と呼ばれるエドマンド・バークの名言である。

私はこの箴言を、あえて拙著最新刊『ウクライナの教訓 反戦平和主義(パシフィズム)が日本を滅ぼす』(扶桑社発売、育鵬社発行)の巻頭に掲げた。みたび拙著「まえがき」を借りよう(表記など一部修正した)。

ウクライナの教訓として、多くの論者が「自分の国は自分で守る」重要性を語る。ならば不安が募る。この国は大丈夫なのかと。

NHKはじめ地上波番組では、国際法上、明文で許された自衛権を行使するウクライナを公然と非難する大学教授や弁護士コメンテーターらが後を絶たない。BS放送も例外でない。たとえば、その夜、出演していた小泉悠専任講師(東京大学)が、系列地上波局の執行役員(解説委員長)も兼ねる男性MCに、こう問うた。「自国が侵略された時に、国民が抵抗するのが、そんなに不思議ですか」(今年3月16日放送)。それでも、その男性MCは隣の女性MCと並んで、執拗に食い下がった。見るに堪えない。

問題はメディアだけではない。当初、在日ウクライナ大使館がツイッター上で「自衛隊など専門的な訓練の経験を持つ人」を対象に「義勇兵」を募ったが、政府は「ウクライナ全土に退避勧告を発しており、目的の如何を問わず渡航を止めて頂きたい」と冷や水を浴びせた。

当時、利き手を骨折したばかりの私は、どうせ何の役にも立たないと諦め、応募は控えたが、陸上自衛隊出身の作家で芥川賞にも輝く砂川文次さんも、似たような思いを抱いたようだ。げんに今年、月刊「文藝春秋」6月特別号に「ウクライナ義勇兵を考えた私」と題して「緊急寄稿」している。

もし、われわれが義勇兵となっていたら、政府はなんと言ったのであろうか。関連法制をたてに、強制力を行使したのであろうか。

ならば、現地で取材を続ける日本人特派員らはどうなのか。なぜ、NHKにも「渡航を止めて頂きたい」と言わないのか。

あるいは、ウクライナが組織した「ITアーミー」への〝リモート義勇兵〞なら許されるのか。それとも、日本政府はサイバー空間での〝参戦〞すら止めるのか。あるいは平和憲法がそれを許さないのか。(以下略)

先月ここで明かしたとおり、拙著は「アゴラ」への寄稿を、テーマに沿ってアップデートしたうえ、再構成したものがベースとなっている。

ただし、再録を断念したものや、大幅な書き換えを迫られたものも少なくない。時期を失したとの理由によるものもあるが、それだけではない。最大の理由は、本年7月8日、安倍晋三・元総理が凶弾に倒れたからである。これを受け、安倍政権下の政策に対する批判は、たとえ建設的な叱咤激励であっても、割愛するか、大幅に修正した。

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他方、新たに加筆した部分も少なくない。ここでは憲法典への「自衛隊」明記案に関する部分を紹介したい(表記など一部修正した)。

いわゆる保守論壇では、安倍提案の発案者として西岡力教授(麗澤大学客員教授)の名前が取り沙汰されてきた。西岡教授は2016年8月16日付「産経新聞」朝刊「正論」欄で、

9条1項の平和主義は変えず、2項を変更して自衛隊の存在を明記するか、3項に「前項の規定にかかわらず自衛のために自衛隊を持つ」などと書き加えることは、おおかたの国民の常識に沿うものといえるのではないか

と主張したからである。

ところが、その西岡教授自身が、翌年6月14日付「産経新聞」朝刊の同じ「正論」欄に、上記を引用した上で、「経緯を記すと、私のこの主張は元航空自衛官であった潮匡人氏に触発されたもの」と明かし、こう書いた。

潮氏は、改憲発議ができる議席が実現したのに自衛隊を憲法に明記することから逃げるなら、現役自衛官の失望は想像を絶するほど大きいと指摘していた。そして、9条2項を改正して自衛のための戦力として国軍保持を明記すべきだが、すぐにできないのであれば「自衛のための必要最低限の実力であって戦力ではない」という解釈を維持したままでもよいから、自衛隊の存在を9条に書き加えるべきであると述べていた。

それを聞いて私は元自衛官だけにそのような主張をさせてはならないと考え、昨年、本欄を書いたのだ。

当事者として訂正すべき点はない。さらに、その後、安倍総理総裁から「(九条改正が)ここまで来られたのは、潮さんのおかげだ」と謝意を伝えられた。

じつは最近も「貴兄のご見識いつも敬服しています。これからも宜しくお願いします。」とのメッセージを頂戴していた。だが、残念ながら「自衛隊」明記案は、その最大の原動力(安倍晋三)を失った。前出の西岡教授は上記コラムを、こう締めた。

ゴールは国軍保持だが、そのためにも9条に自衛隊を明記するこの最初の戦いに負けるわけにはいかない。

なんら異論を覚えない。かつて拙著『誰も知らない憲法9条』(新潮新書)で種明かしをしたとおり、戦後、枢密院で憲法審査委員長を務めた潮恵之輔(最後の枢密院副議長)は、私の尊属である。いわゆる「日本国憲法」は、潮ら「枢密顧問の諮詢」を経て、昭和天皇が「裁可」した。その証拠に、本物の憲法典(官報号外の原本)には「潮恵之輔」の署名が残る。憲法9条と潮家の間には、五代にわたる「深く長い因縁」がある。公私とも、決して負けられない戦いが始まった。