日本は結婚が本人同士というより家同士の付き合いという観念がいまだに強い国です。また、結婚が人生で必ず通らねばならない道であると考える人も比較的高齢の方を中心にまだ多いと思います。この堅苦しさを解き放った方が少子化の流れを止めるには良いのかもしれません。
かつてバンクーバーでは写真婚と言われる結婚がありました。バンクーバー在住の日本人男性が結婚相手を写真一枚で決め、結婚をするというものです。戦前の話です。当時、船が日本から入り、そこにはたくさんの日本人花嫁が乗ってきます。双方は波止場の待合室で合流するのですが、仲介する人がいるわけでもなく、白黒写真一枚を片手に自分の相手がどの人か、見つけ出すのです。時として取り違えたケースもあったようですが、そこまで無理してでも結婚することに執着していました。
そう考えると旧統一教会のの合同結婚式も似た流れなのかもしれません。日本のお見合いとの違いは断ることができるかどうかで写真婚や合同結婚式はほぼ断れないけれど見合いはいやなら何度でも挑戦できます。ドラマ「101回目のプロポーズ」がその好例でしたね。
かつては嫁のなり手がないと東北や北海道の第一次産業従事者向けに都会で嫁候補を募集して大見合い大会をするようなイベントもちらほらありました。最近はネットで知り合うケースが主力になっているようで時代は変わったものです。
この結婚の儀式は非常に重々しいもので結婚式となると会ったこともない親戚やら両親の知り合いやらが参列することもあり、これは一体誰の結婚式だろうということになります。そこで二次会で盛り上がったり、そもそも式自体を簡素化する傾向も見て取れます。
個人的にはこの面倒な儀式が若い人たちを萎えさせる一つの理由なのだろうと思います。「結婚したら社会的責任が生まれる」と親は言うものですが、結婚しなければ社会的責任が無いわけではありません。「それは屁理屈だ、家族を養う責任があるだろう」と言われれば「現代社会で専業主婦なんて流行りません」と返すのでしょうか?
「20代後半から30代前半で結婚すべき」という概念も邪魔なのです。この30歳前後の結婚は当然ながら子供を産み、育てやすい年齢が前提です。つまり社会がそれを強要し、親が「孫の顔が見たい」と願望することに若者は疲れてしまうのです。
もっとナチュラルに、これが私が思う社会のあり方です。結婚はプラス面とマイナス面があります。プラス面は税制などで優遇されることがあること、マイナス面は離婚のプロセスです。離婚を何回したかでバツイチ、バツニといった表現をしますが、バツニまでがギリギリでバツサンは「問題児」と社会が見るケースもあります。一方、同棲(=パートナー)なら極端な話、何度相手が代わっても特段誰も何も言いません。
社会が複雑になり、生き方も多様化しており、終身雇用の時代でもありません。つまり、男女共に20代で今後50年以上一緒にいる相手をコミットするのがそもそも無理な話なのです。いつまでも同じ会社でサラリーマンをするわけではないから環境激変は当然起こり得ますが、結婚をするとどうしても変化に対して夫婦間でクラックが起きてしまいます。嫁から生活はどうなるのと言われた、家のローンが払えなくなるかも、引っ越しをしたら子供がかわいそう…いろいろあります。つまりチャレンジしにくくなる、これも弊害の一つです。
社会がどんどん変わる中で結婚だけが昔のような正当な倫理観だとするならばこれは社会にずれが生じているとも言えます。私はパートナー制度をもっと広く社会が認知し、パートナーでも結婚に近い権利を認めるべきだと思います。
私の顧客のカナダ人がタイ人の嫁と数年の結婚期間で離婚し、5‐6千万円程度の慰謝料を払ったようで、「まいった!」と言っていました。それって本当にバランスある夫婦の関係だったのでしょうか?またあるリッチだった日本人の知り合いは2度の離婚で財産がすっからかんになったとぼやいています。これが結婚したくなくなる理由です。
誰も50年後のことは分からない、だけど財産分与を含めたコミットをしなくてはいけません。離婚して金がなくなるのも困る、ならば形だけの夫婦でもいいか、というケースが増えているのが現状です。日経に結婚の方が税制でメリットがあるという記事がありましたが、全体論を見ていないと思います。そんなごく一部のメリットよりもっと多くの理不尽があるのです。綾小路きみまろ氏の漫談はまんざら笑い飛ばすだけではない人間模様が内包されているんです。外国ではありえない漫談内容なのです。
一気に結婚ではなく、同棲を社会が認知し、支援するようにすることが私は望ましいと思うし、最終的には少子化の対策にもなると思います。少子化問題で有識者がいろいろ述べていますが、結局固定概念から抜け出せないのでズバッと若者に受け入れられない気がしています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年10月30日の記事より転載させていただきました。