イギリス人との食の話題は注意が必要なわけを日本人は何も知らない

イギリス人は会話の最中に相手の階級を探ろうとする。従ってイギリス人と食について話す時は大変な注意が必要なのだ。

彼らが外国人に対して「どんなレストランに行きましたか?」と言うことを、さりげなく聞いてくる。

答えによってその外国人の、

  • 付き合っている人々
  • 教養のレベル
  • イギリスの文化をどの程度理解しているか
  • 実家の裕福さ
  • マナー
  • 聞き手への配慮
  • 知識
  • 語彙
  • 会話の面白さ

を非常に冷徹に観察し、「自分が付き合うべき人間か」をシビアに判断しているのである。

また、イギリスでは転職の面接や新しく引っ越してきた場所で、食事やお茶に誘われることがある。

これは「試験」なのだ。

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実は、こういう「試験」は、イギリスだけではなく北米や欧州大陸にだってある。転職前にランチに誘われたり、職場のパーティーやイベントに招かれたりする。

単なる「楽しみ」「好意のため」という感じもするが、その人間が、

  • 職場の雰囲気に合うか
  • 社会性があるか
  • 常識があるか
  • その職場の顧客や幹部と同等のクラスか
  • 会話に教養が感じられるか
  • 服装や髪型

といった「総合的な人物判断」の試験を行っているのである。

高収入で、顧客との折衝や交渉など定型化できないスキルが必要な職場ほど、こういうった「試験」が行われる。

そういう職場は顧客が超富裕層、貴族、王族、老舗企業のオーナー、政府高官などだからだ。彼らは人柄を見る目がシビアだ。

食の場では、それらを細かく観察することができる。教科書やマニュアルに書いてあることが処理できれば良いだけの仕事の人間には関係がない。

このためある程度の階層の親は、子供が小さい時からそれなりのレストランに連れて行き、マナーだけではなく振る舞いや会話、身なりについて、細かく注意を入れて教育を施す。

私立の学校で「それなりの階級になるため」の教育に力を入れているところは、小さい時から給食でコースメニューの食事を出し、仮に小学生であっても「鴨のコンフィー」といったフォーマルなフランス料理メニューを出し、食べ方に慣れさせる。

日本では食育に関してうるさく言う親が多いが、階級社会が非常に強固なイギリスでは、指導するのは栄養成分の事ではなく、自分が所属することになる階級において「ふさわしい振る舞い」である。

私が2021年12月に出版した「世界のニュースを日本人は何も知らない3 – 大変革期にやりたい放題の海外事情」という本にも書いたのだが、日本人や東アジア人の親はこれに気がついていない。試験で点数さえ取れば社会的に認められる、学校名さえ良ければ成功者だと勘違いしているである。

特に中華系の親は、子供に熱心に勉強はさせるが、こういった食を介した振る舞いや教養を教えないので、子供はいつまでたっても「それなりな階級」の仲間に入れてもらえないのである。

友好関係を築く際や就職・転職の際に、子供はそれなりの階層の仕草を身に付けていないために、なんとなく仲間外れになってしまい、資産形成やキャリアアップの間で大変不利な立場に置かれる。

要するにこれは個人の「社会資本」の話なのである。

こういったことの「必要性」は、周囲に学ぶ環境があれば、自然に気が付くのだが、外国人であったり、異なる階級出身で「必要性」に気がついていないとわからない。

これは大人になってから、海外に留学したり、仕事でそれまで付き合っていた階級と異なる人々と接触する様になる大人でも同じことだ。振る舞いの「コード」に気がつくのには時間がかかることもある。

しかし自然に身についたものと、後天的に自発的に学ぶことの差は大きい。

こういった事はイギリスではなく日本でも実は存在していることであり、理解できないことではない。リベラルの人々が言うように、「海外は自由だ」とか「階級がない」とかそういった事は明らかに疑問なのである。

彼らは理想を語るのに多忙だが、事実を隠すことで、一般の無知な人々を欺き、彼らを不幸のどん底に陥れている。

北米も欧州も、現実社会では日本以上にシビアな世界も存在するということだ。

ただそれは、見えない人には見えないのだ。