妥協点を探る大会になるのか、COP27:真のテーマは先進国対途上国?

COP27(国連気候変動枠組条約)がエジプトで始まりました。今のところ、話題性に欠けています。メディアの取り組みも今一つで一般紙への展開も少ないように感じます。一時はグレタ女史や若者たちのの過激な発言や行動に耳を傾ける時期もありましたが、今回は当のグレタ氏も参加せず、会議は粛々と行われるのではないかとみています。

COP27公式HPより

また、昨年、英国で開催されたCOP26では最後に議長宣言がインドのちゃぶ台返しでギリギリの攻防となり、議長の涙ながらの採択で産業革命前からの温暖化を1.5度に抑えることとしましたが、勢いが大きく後退した感は否めませんでした。

今回も正直、事前期待もあまりなく、話題にも上がってこないのはCOPそのものの取り組みが「行き過ぎたコンセプトの揺り戻しの中、落としどころを探る」状況であることと「押せば押すほど、先進国と途上国の亀裂が問題視され、先進国にとって不利な展開になることを嫌っている」ことがあるように感じます。この辺りを中心に見ていきましょう。

この会議で特にベンチマークとなるのが2015年にパリで開催されたCOP21で別名パリ協定とも称されています。これは地球上のすべての国が参加、合意することを目指したものでその頃から社会が大きく気候変動問題に目を向けます。

グレタ女史が高校生にして金曜日に声高に環境問題を説いたことは記憶に新しいでしょう。主要国が21世紀半ばまでの温暖化対策を次々発表し、一種のポピュリズム化が進みます。日本は菅総理(当時)が2030年までに温室効果ガスを2013年比46%削減、更には50%の高みに向けて挑戦するといったように下からの積み上げの数字というより、政治的ステートメントによる目標設定が流行ります。「流行り」などと揶揄してはいけないのでしょうけれど私には政治家は勢いでそこまで言うのか、とやや引き気味でありました。

機関投資家や金融機関などは温室効果ガスを大量に出す業種には投資をしないと宣言、いかにも「弊社は優等生」であることを企業の宣伝活動に利用しました。が、私はその時、明白に申し上げたと思います。そんな事すれば最終的には化石燃料の関連企業が潤うだけだ、と。

理由は簡単です。化石燃料を否定すればそこに投資マネーも銀行の融資もされないから産業が死滅するのです。ところが、わずか10年ぐらいで突然代替エネルギーに転換できるわけがないのです。だから既存の企業はブルーオーシャン化し、極めて大きな恩恵を受けるというシナリオです。機関投資家はノー天気の現実論を平気で振りかざす良い子ぶりを発揮したわけです。私がその当時、化石燃料の企業群に投資したのは株価が上がるのが自明だったからです。これが良い投資であったとは思いませんが、理想と現実は違う点を世間が理解できなかった間隙をぬっただけです。今になってウォーレンバフェット氏などが一生懸命石油関連に投資をしていますが、彼は私より1年以上も動きが遅かったのです。

今回のCOP27に向けてかつてよい子ぶりを見せた企業群や投資家は「温室効果ガス削減に努力する化石燃料関連の企業には投資をする」と一斉に方向転換をしています。つまり、それら悪役が環境問題に積極的に取り組み、体質改善することを支援するために投資を再開する、というずいぶん調子のよい姿勢に変わったわけです。当然、その背景には目も当てられない燃料価格の上昇があるわけです。彼らは良いことを述べているようですが背に腹は代えられないというグリーディーな面が丸見えになってしまったのです。

今回のCOP27のもう一つのテーマは環先進国対途上国です。平たく言えば現在の温室効果ガス問題を作ったのは先進国だろう、その結果、我々途上国では気候変動によりとんでもない被害を被っているのだ。その損失を何らかの形でカバーせよ、という訳です。「訴訟」という言葉こそできてきませんが、実質にはそれと同じです。これではパリ協定で「地球全ての国が参加し、合意する」枠組みだったのにパワーゲームとインタレストの不一致を招いてしまったのです。

ここから類推すれば、私は今年のCOPは実質的に停滞する結果となるとみています。議長宣言がどうなるか、見ものですが、期待感は低いとみています。その背景の一つがエジプトで開催されることで途上国パワーがさく裂しやすく、先進国は守勢に回らざるを得ない点があるかと思います。またウクライナが自国の状況が計測し、積極的に改善に勤しむ状況にないと取られる発言を初日にしてしまったことでネガティブなトーンを植えて受けたこともあるでしょう。

平たく言えばG20が出来た時と同じです。あの時、オバマ氏が自信満々でした。が、蓋を開ければG20が生み出した成果は案外少ないのです。理由は利害関係です。同様にパリ協定も理解関係の問題を生み出したのですが、もちろん、2015年当時は誰も気が付きません。コロナを経て今、その問題は現実化し、激しく議論されることになるのでしょう。個人的には方向転換が必要だと思っています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年11月8日の記事より転載させていただきました。