政治家の失言の数々(屋山 太郎)

葉梨康弘氏
NHKより

会長・政治評論家 屋山 太郎

閣僚が失言して辞任することは、数十年も前から繰り返されてきたが、大方の失言は、自らの政治信条や信念に基づいていた。

07年6月、久間章生元防衛大臣は講演で「米国はソ連が日本を占領しないよう原爆を長崎に落とした。悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終ったという頭の整理で、今しょうがないなと思っている」と発言。対米追随だと非難され、辞任した。終戦時、子供だった私などは、いずれ原爆を作って仇を討とうと思っていたくらいだから、久間式整理で落ち着いた思いがあった。

中山成彬元国土交通相は08年9月の麻生太郎内閣の就任インタビューで成田空港拡張工事への反対闘争を「ゴネ得」と述べた。加えて「日教組は癌」と述べて辞任。現実にゴネ得に見えたし、政治・行政に直接口を出す教職員労働組合など日本くらいだ。しかし大臣職を賭けて反対派とケンカするというのは、政治家として幼稚過ぎた。

藤尾正行氏は中曾根康弘内閣の86年改造の際、月刊「文藝春秋」誌のインタビューに答えて、日韓問題には「韓国側にもいくらかの責任なり考えるべき点はあると思う」と発言。実はそのインタビューの席には私も加わっていたのだが、「いくらかの責任」が、責任を取って大臣辞任に至る程の発言だとは認識しなかった。自らの辞任を望まなかった藤尾氏は中曽根氏に罷免された。

88年5月、奥野誠亨元国土庁長官は、国会で「東京裁判は勝者が敗者に加えた懲罰だ」「あの当時、日本にはそういう(侵略の)意図はなかったと考えている」と述べて辞任に至った。55年体制の頃は、藤原氏、奥野氏などのような発言は多かった。これは村山内閣の時だったが、桜井新環境庁長官も94年8月、「日本は侵略戦争をしようとして戦った訳ではない」「日本だけが悪いという考えで取り組むべきではない」と発言し、辞任した。

韓国発言でクビ、というパターンが多いが、韓国問題は「65年の日韓基本条約でケリをつけ、日本に不利な材料をデッチ上げて韓国の歴史を書き換えること」をしない旨の約束を作っておくべきだった。

辞任したこれらの大臣は、いずれも自らの歴史観を発信して辞任したので、敬意を表したい。

さて、今回の葉梨氏の失言はどうか。法相は「死刑のはんこを押した時だけニュースになる」「外務省と法務省は、票にも金にもならない」。これをあちこちで繰り返したそうだが、これが冗談のつもりだろうか?国会ではこれが冗談になるのか。これは馬鹿の発言の類だ。

ところで池田勇人元総理は、蔵相だった時の1950年、国会でこう言っていた。「所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそった方へ持って行きたい」。これで大炎上したが、正論ではないか。

(令和4年11月23日付静岡新聞『論壇』より転載)

屋山 太郎(ややま たろう)
1932(昭和7)年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒業。時事通信社に入社後、政治部記者、解説委員兼編集委員などを歴任。1981年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。1987年に退社し、現在政治評論家。著書に『安倍外交で日本は強くなる』など多数


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2022年11月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。