アメリカとイギリスが強い理由を日本人はなにも知らない

谷本 真由美

小2の息子が通うイギリスの進学校系の学校で徐々に落ちこぼれ組の生徒が出始めており、ダメな生徒は他の生徒が通常の授業を受ける間、「特殊授業」に出席し、超簡単なスペリングや超簡単な算数を復習している。

授業時間は同じで一応同じクラスに所属だが学ぶ内容は全く違う。学校で成績不良な生徒が、算数、英語というコア教科ですでに他の生徒と違う特殊指導を受けているということである。

レベル別指導ではなく、そのクラスの最低レベルからも弾き出されてしまい、「特殊指導」を受けている。

実はこのような分類の元になっているのが試験の結果だ。

イギリスは日本の年長に当たる年齢から全国統一試験があって、偏差値がガッツリと出て、国はそのデータを元に教育施策を作り、子供の進学はその偏差値に大体沿う感じになる。

進学する大学や将来的な収入も大まかに予想できてしまう。

数学、論理分析、国語(英語)と細かく偏差値が出て、推移は学校が把握。進学校の場合は細かい個人型の学習計画を立てる。

全国統一試験でガッツリと偏差値が出るので、ダメな子供、ダメな学校、ダメなクラスの結果がはっきりわかる。

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家人に聞いたらこれは昔からそうで、イギリスは自由な教育どころか、日本よりも遥かに厳しく、低年齢で能力別の選抜をやる実に厳しい国だということを知った。

家人にこのような全国統一試験や能力別指導に反対はないのかと聞いたら、「反対するわけ無いだろう、国がデータを収集して国民の知能レベルを検証するのは重要なので、当たり前になっている」という。

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成績不良な生徒は学業にも問題があるが、授業態度が悪い、教員に失礼な言葉を使う、級友を蹴るなど素行も悪く毎日毎日違反切符をもらっている。

イギリスの教育熱心な小学校は、子供の行動に対してガイドラインがあり「何をしたら違反何点」と決まっている。

例えば「授業中に私語」「友達に意地悪をした」「教員に失礼な言葉を使った」「暴力をふるった」「備品を壊した」「グループ作業に協力しなかった」などである。点数によって「イエローカード」「レッドカード」がでる。

累積で親が呼び出しとなり校長と面談である。そして点数はシステムによって全校に公開され、成績表にも記入され、進学の際に学校側が提出する内申書に数年分の累積が反映される。

試験成績が良くても素行の悪い生徒は省く仕組みになっている。学校側は試験は得意でも、問題のある生徒は受け入れたくないので、このような内申書は結構重要である。

これは、イギリスだけではなくアングロサクソン系の多国籍の企業が、証拠を積み上げて、能力が劣る社員を退職に持っていくやり方と同じである。

訴訟にならぬように「この人がいかに能力がないか」というデータを集める。

実は私はこのような社員のパフォーマンス指標を作ることもやっていたので、学校がやることが手にとるようにわかる。

だから生徒を見ていると、大体この子は来年は落第だなとか、そのうち転校だなと言うのがわかってしまう。

予想通りになる。

日本と異なり学校が生徒の面倒を見ますという感じではなく、生徒は良い実績をあげ、学校に貢献する人間ではないと残してもらえない仕組みである。

外資系企業と全く同じである。

だから学校の仕組みを見ていて、改めてなぜイギリスやアメリカが強いのかというのが実によくわかった。

良い人間を早期に選抜し、ダメな人間は合理的な理由で組織の外に出す。決断は実に早く冷酷である。感情ではなくデータでやる。

小学校でこの調子なので日本より強いのは当たり前だ。

企業であれば収益に貢献しているかどうかで従業員を評価し、ダメな場合は外に出す。実にシンプルだ。

日本のマスコミや人文系は左翼が多いので、これまで北米やイギリスの教育は「自由を尊重」とか「算数がゆるい」というごく一部のヒッピー系の学校の教育を抜き出して全体のように伝えてきたが、実態は全然違った。この様に非常にシビアなのだ。

これまで私はアメリカの大学と大学院で教育を受け、家人もイギリスの大学の教員で、同僚や仕事関係者はアメリカやイギリスの大学と兼務の人もいたので、大学のことは把握していたが、初等教育がこんなになっているのかと毎日が驚きである。

日本の「欧米は試験や詰め込み型教育を否定している」という報道は一体何だったのかと感じているが、このような初等教育における徹底的な現実主義、優秀者を早期選抜して資源を集中させることが、イギリスの強みの源泉だと感じた次第である。

そしてイギリスの遺伝子を受け継いだアメリカも実は似たようなことをやっている。

TwitterやMetaにおける超高速なリストラも、日本の感覚ではびっくりだが、選択と集中を合理的にやっているに過ぎないのだ。