選挙常勝集団としての創価学会、その秘密に迫る:田原総一朗『創価学会』

勝つしかない…。この一戦が自身の力量を示す好機であり、生涯を左右すると池田は強く自分に言い聞かせていた。

公明党結党前の1956年、創価学会は初の国政選挙に臨む。池田大作は当選ほぼ不可能と言われた大阪選挙区に送り込まれた。当選ライン20万票と言われる中で、選挙区内に学会員は3万世帯のみ。創価学会の中では不可能を可能にした「大阪の戦い」として語り継がれる池田の初陣は、泡沫候補に過ぎなかった白木義一郎を勝利に導く奇跡であった。

評者は自民党員で、選挙を戦う集団としての創価学会に関心を持っていた。自公では、憲法改正や外交安全保障への考え方で立ち位置は異なる。双方の支持者が相手に対する不信感や、譲歩を重ねる自党の執行部に不満を持つとも言われる。

しかし、意見を異にしても直ちに離婚、とはならず「結婚生活」は20年を超えた。来春、評者自身が党公認で選挙に臨む。まずは「配偶者」としての創価学会を知る努力をし、理解を深めようと考えた。

大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく。

本書はベテランジャーナリストの著者による、創価学会の通史だ。特に第3代会長の池田大作は別格の存在として描かれる。それは学会存亡の危機を何度も乗り越えた不屈の闘志と、多くの学会員を魅了した類まれな指導者としての資質と実績である。

本書でも池田の言葉として紹介される「大衆」は、現在公明党のホームページにも大きく紹介されている。池田大作は議員を前に、初心忘れるべからずとの趣旨で、こう訓示したのである。

以上のことから、創価学会の歴史を知る上で本書は必読書と言える。しかし、著者と創価学会の心理的距離が近く、客観性に欠ける点は残念である。本書の内容が優れているが故に、著者が創価学会のスポークスマンの役割を果たしていると評価されれば、創価学会員以外の一般読者をむしろ遠ざけてしまう。

例えば、日頃の自民党に対する著者の激しい批判は、創価学会に対しては鳴りを潜める。「私は池田の覚悟と後継者への深い愛情を感じる」と書いているが、取材対象に対して著者自身が共感を示しては内容に疑問符がつく。また、長年の自公連立政権で不満が溜まっているとされる一般会員の声までは十分取材せず、原田会長など幹部との対談でお茶を濁している。

いかなる組織も完璧なものはなく、内部に抱える不満や矛盾を突くことこそジャーナリストの役目ではないだろうか。その役目を果たしてこそ、逆境の中でも政治に大きな影響力をもつ創価学会の実像が見えてくるはずだ。

著者の矛盾する言動はここにもある。本書には政教分離の原則として「宗教団体の政治活動を禁止するということではなく、国家が特定の宗教団体に介入することを禁ずるものである」と明快に書かれている。実際に内閣法制局長官の国会答弁でも同趣旨のことが発言されており、この点は宗教と政治を語る上での重要な立脚点だ。

しかし、著者は自身の公式サイトで統一教会に触れ、「岸田内閣が、質問権を厳しく行使していけば、法人格をはく奪する、解散命令の請求まで行き着くはずである。さまざまな抵抗や妨害はあるだろうが、岸田首相は、国民のために死に物狂いでやり遂げなければならない」と断言している。

舌の根も乾かぬうちに、とはこのような著者の言動を指すのではないか。

著者の立ち位置については疑問が残る。しかし、通史としての創価学会の歴史や公明党との関係、学会の基盤となる日蓮大聖人の教えなどを網羅した本書は大変貴重である。本書を学会員への「参考文献」としてのみ留めておくのは惜しい。好き嫌いは別にして、多くの読者が一読するに値すると私は考える。