中国はコロナに勝利した?
今から2年前、紋切型のように言われていたことがある。それは、民主主義がコロナウィルスに負けて、権威主義の国、特に中国が勝利を収めたとの評価である。
日本のコロナ対策はメディアや論壇上などでは「コロナ敗戦」という烙印が押された。コロナ感染者数が急激に増加し、「医療崩壊」の可能性が連日のように指摘される中で菅義偉首相が退陣を余儀なくされたのは、日本の「コロナ敗戦」を象徴するような出来事であった。その他の民主主義諸国も、感染症の流行をコントロールできない状況が続き、米国に至っては100万人近くが命を落とす結果となった。
一方の中国は民主主義社会の根幹が大きく揺らいでいるのを尻目に、まるで勝者のように崇められた。2020年、民主主義諸国が粗方マイナスの経済成長を記録していた中で中国は2.3%の経済成長を発表した。中国による大本営発表とも言える数字は、当時から眉唾ものとして扱われてしかるべきだった。だが、その数字は額面通りに受け止められ、政治体制として権威主義の優位性を誇示する指標となった。
しかし、あれから数年立って、少し冷静になって考えてみれば、当時みられていた言論はあまりにも近視的であったと言わざるを得ない。
ポスト・コロナとゼロ・コロナ
今民主主義諸国を見渡せば、コロナと共存するポスト・コロナへの移行はスムーズに行われており、比較的最近の現象であったコロナ・ウィルスを原因とする社会混乱は沈静化を見せている。この数年間で選挙が全世界で行われているが、主な争点はインフレや物価高などの構造的な経済問題で占められており、コロナのコの字も出てこない。アメリカ至っては先の中間選挙は経済はおろか、ドナルド・トランプという一人の人間が一種の選挙争点となっていた。
また、日本を一歩出れば、マスクを付けないことが当たり前の世界となっており、民主主義におけるコロナ対策のお手本ともてはやされた台湾も脱マスクを宣言する見通しだ。民主主義諸国の間ではもはやコロナ以後の世界ではなく、コロナ以前の世界に戻りつつある。
対コロナの勝者と思われていた中国だが、強権的な措置を使って抑制した、コロナウィルスと民衆の不満は今になって爆発している。中国は今年に入っても、コロナを文字通りゼロにする「ゼロ・コロナ」政策を継続しているが、皮肉にも感染者数は過去最多を連日のように更新している。
24日、ウイグル自治区のウルムチ市にて火災が発生したが、コロナ対策により救助活動に遅れが出てしまい、10人もの死者が発生した。この事件が中国人の堪忍袋の緒を切らし、非合理的な「ゼロ・コロナ」政策が無辜の市民を死に追いやったとして、同政策の撤回と責任者である習近平国家主席の退陣を求める声が出てきている。
驚くのは、上記の批判が中国国内から出てきていることだ。中国国内では現在高度な監視社会が敷かれており、政府批判はご法度中のご法度だ。国外からの政府批判であっても、強制帰国させられてしまう危険性も指摘されている。しかし、中国国内のみならず、国外から、主に若者を中心として批判の声が声高にSNS上で散見される。
民主主義諸国が共通して持っている言論や表現の自由を希求する中国の若者の勇気は我々が数年前に抱きかけた、権威主義の魅力を真っ向から否定するものだ。権威主義は中国のゼロ・コロナやロシアのウクライナ侵攻が証明したように、柔軟性がなく、一度決まったら独裁者の都合で、国益に反する政策であっても継続される。一方、民主主義諸国は政策が誤れば、世論や選挙の力を経て、修正が適宜行われ、社会の持続性という意味では権威主義より優れている。
コロナウィルスが流行してから来年で3年目になるが、流行当初と今とで、ナラティブは完全に逆転した。現状においては感染を全く収束できずに、天安門事件と匹敵にする抗議運動に直面している、中国のコロナ対策こそが「コロナ敗戦」の称号を受け取るべきなのだ。