このところ文春砲と新潮砲が創価学会攻撃を繰り返しているが、根本的に欠けている視点があると思う。
それは、もし創価学会が過度な負担を強いるような宗教なら、数百万世帯もの信者を獲得することも維持することもありえないということであろう。
そうした観点から創価学会や公明党について『日本の政治「解体新書」: 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)の第三章で書いたが、ここではさらに、商品販売にたとえて論じてみたい。
宗教と商品の販売を一緒にするのもなんだが、似たところもある。つまり、創価学会はトヨタやパナソニックと同じように、顧客満足度が高いからこそ日本一の宗教団体なのである。
もちろん、商品でも顧客満足度が高くて業界トップだったら品質もナンバーワンとは限らない。しかし、それなりの品質とコスパでなければ、業界一位になれないし、維持もできないのが普通で、トヨタやパナソニックが業界一位であることには理由がある。
もちろんトヨタやパナソニックの販売店にだって悪質なセールスマンがいるしトラブルもある。しかしながらそういったことが比較的少ないから信頼されている。
こんな多額の寄付をさせられたとか、親戚の信者に仏壇壊されたとか、葬式の時にどうのこうのとかいうことをいう人もいるが、劇的に発展していたある時期そういうケースがあったこともあるだろうが、いまはそんなことはないし、コンプライアンスはしっかりした団体だからそんなことが一般化できるわけでない。
入会時の費用は本尊の授与で3000円くらいだし、仏壇なども数千円も出せば十分だし、誘った人などがプレゼントなどするからほとんどいらない。聖教新聞は月に1770円だし、会費に財務は年に1回、会員に振込用紙が送られるが、一人一万円が目安だが、強制ではないし、払わない人も多い。しかも、会計は明朗だ。
また、相互扶助で葬式も結婚式もタダでできるなど、総じて言えば、お金のない人に向いた宗教だからこそ、勢力を拡大した。これも商品に例えて申し訳ないが、旧統一教会を初めとする多くの新興宗教が金持ち信者の獲得を目指していたときに、薄利多売の逆張りのようなかたちになったのが日本最大の教団になった原点である。
もちろん、そのかわりに、相互扶助の手伝いに参加する必要はある。それは、農村でのムラ社会での共同作業に似たもので、創価学会が発展したのは、都会に出てきて帰属するムラ社会を失った人にその代替を提供したと言われるゆえんだ。
日本社会でそれによく似たものは何かと言えば、大企業の家族的終身雇用だ。たとえば、パナソニックなどよく似ていると思うし、松下幸之助氏と池田大作氏が意気投合し、初代の松下政経塾の塾長にならないか打診したのも偶然ではない。
パナソニックで朝礼するとか、社歌を歌うとかいうのも似ているし、保養施設をつくるのに労働組合が工事の手伝いに労力奉仕を組合に求めたなどというのも同様だ。
私自身についていえば、無神論でないが無宗教だし、大企業文化にもなじめない。だが、信心したり、組織に属したりすることによって、人生を前向きに生きられる人は多いのだから、その効用は評価している。
その意味で、旧統一教会のような極端な集金をする宗教のとばっちりで、反宗教的な言動が節度なく広がったり、物品やサービス販売、お稽古事など趣味、慈善活動など何事にも分不相応な金を出させたりさせるものは多いのに、信仰の自由を空洞化させるような攻撃が宗教、とくに非伝統宗派に加えられるのはおかしいと思うので、そういうことがないように少しこれまで考えてきたことを披露していきたい。
ちなみにフランスのカルト規制はよく知られているが(カルトという言葉に日本でのような否定的な意味はない)、監視・取り締まりにあたって欧州の伝統宗教としてカトリック、プロテスタント、正教、ユダヤ教、さらにはイスラムには運用で緩く適用したのだが、その結果が、イスラム過激主義の台頭となり、関心はそちらに移ってあまり話題にならなくなったというような苦い前例もある。
■