47都道府県すべての領域と名称の成立の歴史を紹介

PRESIDENT Onlineで『地方へのバラマキを漫然と続けてもムダになるだけ…いますぐ「第二の廃藩置県」を議論すべき理由日本の地方自治は「新築」すべき状態にある』という論考を書いた。

地方へのバラマキを漫然と続けてもムダになるだけ…いますぐ「第二の廃藩置県」を議論すべき理由 日本の地方自治は「新築」すべき状態にある
日本の地方自治はこのままでいいのだろうか。評論家の八幡和郎さんは「東京一極集中にはさまざまな弊害がある。一方、現在の地方振興策は、経済合理性を失った限界集落・自治体の一時的延命に浪費されている。いまこそ思い切って、道州制と300基礎自治体に再編すべきだ」という――。

東京一極集中を排して、本当に地方分散を図るなら、現在の都道府県と市町村を解体して、自民党が主張する道州制と旧民主党が提案していた300基礎自治体への再編成をするべきだという話を、地方自治の歴史から書き起こして、具体的な提案にしている。

それは、リンクを張っているので、そちらを見ていただきたいが、そこでは47都道府県が具体的にどう成り立ったかは触れていないので、駆け足で紹介したいと思う。

詳しくは『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)に県庁所在地の決定の経緯とともに書いてある。

明治4年7月の廃藩置県で江戸幕府以来の「藩」が廃止されて3府302県となり、大名に代わって知事(県令・権令)が任命され、11月には第1次府県統合が行われて3府72県となり、明治9年頃には31微修正を経て、1888年に47道府県となった。その後は、微修正のみである。

九州では、筑前・筑後+豊前半国で福岡県。肥前は全域が長崎県だったこともあるが、佐賀県が独立。長崎には対馬と壱岐を加える。肥後は熊本県。豊後一国+豊前半国で大分県。豊前一国で小倉県だった時期もある。薩摩が鹿児島県、大隅+日向南半分で都城県、日向の北半分は美々津県という時代にもあったが、いったん、三権が合併して鹿児島県となったが、日向が独立して宮崎県に。ただし、日向のごく一部は鹿児島県に。沖縄県はかつての琉球国。ただし、奄美はもともとは琉球のなかだが鹿児島藩の直轄地で明治になって大隅に編入された。

四国は一時は、伊予+讃岐で愛媛県、土佐+阿波で高知県だった時代もあるが、讃岐が香川県、阿波が徳島県として独立した。

中国では、周防+長門で山口県、安芸+備後で広島県、備前+備中+美作で岡山県。石見+出雲+隠岐+伯耆+因幡で島根県だったこともあるが、伯耆+因幡が分離して鳥取県となった。

近畿は、紀伊が和歌山県となったが、東部の尾鷲付近は地理的に近い三重県へ。丹後・但馬・丹波の大部分で豊岡県、播磨は飾磨県という時代もあったが、摂津西部+淡路+播磨+但馬+丹波の篠山付近で兵庫県。淡路は徳島藩領だが、稲田騒動もあり兵庫へ。摂津東部+河内+和泉+大和で大阪府だったが大和が分離して奈良県。大和と大阪府南部で堺県だったことも。山城+丹後+丹波の大部分で京都府。近江+若狭+越前南部で滋賀県だったが、若狭と越前は石川県の越前北部とともに福井県へ。

石川県は、越前北部のほか加賀+能登+越中の全国最大県だったが福井のほか越中が富山県に。岐阜県は美濃だけだったが、筑摩県から飛騨を編入。尾張と三河で愛知県。伊賀+伊勢+志摩+紀伊の一部で三重県。遠江+駿河に足柄県から伊豆を加えて静岡県。甲斐は山梨県。信濃は北部が長野県、南部は飛騨とともに筑摩県だったが信濃=長野県に。新潟県は越後+佐渡だが、越後のごく一部福島県からのちに編入された。

伊豆と相模の大部分は足柄県だったが、伊豆を除き神奈川県へ。もとの神奈川県は相模の一部と武蔵南部だったが、三多摩は東京に。横浜に県庁を置くために無理矢理神奈川県を設置。千葉は上総と安房で木更津県、下総の大部分は佐倉県だったが、下総の一部を茨城にゆずり千葉県に。下野は栃木県に。武蔵北部は埼玉県に。上野は群馬県だが、館林付近は一時は栃木、残りは現在の埼玉西部とともに熊谷県だったこともある。

東北では陸奥と出羽の二国だったが、明治元年に出羽は二分、陸奥は五分割されたが、そのまま県とならずに境界は大きく変更された。出羽は山形県と秋田県に分割されたが、秋田県は陸奥の鹿角郡を編入。山形県は、酒田、山形、置賜が合併。福島県は若松、福島、平県が合併。宮城県は仙台藩大部分だが、北部は岩手県へ。岩手県は仙台藩北部と盛岡藩南部だったり、水沢を中心に水沢県だったりした。盛岡藩北部は津軽藩とともに青森県になった。青森県には北海道の松前付近が属していたこともある。

蝦夷地は開拓使だったり、函館、札幌、根室の三県に分割されたりしたこともあるが、北海道になった。

愛知県庁舎 Wikipediaより