このところ、岸田内閣が防衛予算をGDPの2%にしろと大騒ぎをしている。それに対して、従来、防衛費とされていなかった支出を防衛費に入れて財務省が誤魔化そうとし、 保守派がそれに反発している。
また、防衛費増を国債でするか、増税でするかについても議論がある。
財源については、国債とするのは筋違いだ。一時的な支出でないのだから、増税ないし支出削減で対処すべき話だ。
もちろん、国際情勢の緊迫化に対応して全力で防衛力強化をするためには支出増は世界の常識だし、米国から防衛費増という形で目に見える努力を要求されているのに応える必要もある。
しかし、問題の本質は支出増ではなく、日本の防衛力の実質的な強化であり、国際的な貢献であることを忘れてはならない。そして、膨大な財政赤字を抱える日本は、予算増にあまり頼ること無くそれを実現すべきだし、また、余地はたいへんに大きいのである。
これまでだったら国民が嫌がるハリネズミ国家化も、国際的な軍事貢献も、増税を避けるためになら受け入れる余地がだいぶ出てきたのでないかと思うのだ。
まずするべきなのは、防空壕の整備・核シェルター・建築物などへの放射能・爆撃への対応強化だ。核シェルターは原発事故対策にも必要だ。
ウクライナ紛争でも分かったとおり、地下鉄がもっとも強力な防空壕・核シェルターだ。今後の地下鉄建設にあたっては、防空壕・核シェルター機能をもたせるようにすべきだし、毀損の地下鉄駅などを改良して、少しでも防空壕・核シェルターとして使えるようにすべきだ。
一般の建築、とくに公共施設についても、軍事攻撃に強いようにし、防空壕・核シェルターとしての機能をある程度持たせるように建築基準の改正をすべきだろう。昭和初期の公共建築はそうした配慮がされていて、財務省庁舎など天井が分厚いので、携帯電話初期にはつながらなかったほどだ。
こういう費用は、防衛費に勘定しても構わない。武器を買うばかりが防衛費ではない。
科学技術研究も防衛力強化に役立つものに傾斜すべきだし、それは、防衛費からどんどん支出すればいいし、ある程度は、既存の研究費を削ればいい。学術会議が協力しなければ、廃止などを迫ればいいことだ。
PKOも含めた海外派兵についても、ある程度は拡大すべきだ。日本がそれを回避しているのは、憲法問題もさることながら、戦死者ゼロに拘りすぎだ。たとえば、消防士が燃える建物には入らないと決めたら、殉職者は減る。しかし、焼死者はかなり増える。
自衛隊も訓練では殉職者をある程度、出している。海外で全体の殉職率をさほど上げない程度の運の悪い殉職者を出すのが何より避けるべき目標ではあるまい。それに、現在の自衛隊の殉職率は、トラックの運転手の10分の1くらいである。
ちなみに、自衛隊員や海上保安庁などだけで無く、日本の外交官や交際協力関係の職員も現在よりは、危険な土地に生命の危険があっても留まるべきだ。詳しい経緯は不明だが、アフガニスタンから逃げ出すのとか、キーウについてもあまりにも自分たちの安全重視が極端過ぎる。
大企業ではない民間の現場の人たちの人たちとのバランスにおいても、公務員などの安全重視は行きすぎだと思う。
日本は憲法と云うより、戦死者ゼロ神話にこだわるから、過度に臆病で、米軍に頼ったりするから、アメリカから別のところで気前よく金を出すことを要求される。軍事的貢献を改善したら気前の良すぎて日本への見返りが少ないODAなど減らすことができる。
日本はいろんな問題を、気前の良さで補ってきたが、もはや日本は金持ちでない。
また、徴兵は憲法で禁じられるとしても、いまの現状では義勇兵も出てこないし、兵站などで自衛隊や米軍などに民間人が協力するのも難しい。
そこで、私は最近のヨーロッパで検討されている、数週間の公共サービス訓練を国民に男女を問わず義務づけるというのを提案している。そのエッセンスは、アゴラでもまた書きたいが、詳しくは『日本の政治「解体新書」: 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)に書いている。
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