自民党の保守派に多いポピュリスト経済論者(MMT、リフレ、消費税反対、ついでに多くの場合、ワクチン反対)の財政規律軽視論の暴走は目に余る。そもそも、民主党政権のときは、民主党の政策が財源論を無視しているといって批判していたのではないのか? いまMMT派がやってる議論に比べれば、民主党のいってたことなど可愛いくまともだった。
ポピュリスト経済論者は旧民主党の方々に批判したことを謝ったらどうか。
とくに、防衛費増を国債でというのは、驚天動地だ。戦時の国債なら場合によっては正しい。金がないから、国民や友好国に場合によっては、損得抜きでお国のためや正義のために買ってもらって、ゆっくり返させて頂くのである。
といっても、財政無視で戦争して国を滅ぼした例は古今東西いくらでもある。サッチャーやチャーチルはそれで戦争して勝ったからまだいいが、常にそうとは限らない。
まして、今回議論しているのは、半永久的な防衛費支出増である。戦後70年の軽武装国家から脱却し、それは半永久的に続かざるを得ないものだ。そんなもの国債に頼って実現すればいいなどという経済学は存在しえない。
もっとも、安倍派のなかでも、財政規律なんてくそ食らえで国債で防衛費ふやせばいいという極論をいっているお馬鹿さんは少数派らしい。岸田首相のように、増税だけでやるかのように発言し、それを正直すぎる言い方で国民に問いかけることはどうかということと、自分たちに根回しがなかったことを怒っているようだ。そのなかで、稲田朋美氏が常識的な増税論をいっているのはすばらしいことだ。
あいかわらず、岸田首相の根回し軽視は芸術的だ。本人がそれが苦手でも、まわりにどうしてそういうことを忠告する人がいないのだろうか。
エコノミストの小幡績氏がうまいことをいっていた。
なぜ、リフレ派、消費税反対派、MMT理論を支持するのはなぜ同じ人たちなのか?ポピュリズムだからだ。もう少し詳しく言えば、現在のコストをすべて先送りにして、今支持を集めようとする政策という共通点があるからだ。
もう少し詳しく言えば、現在のコストをすべて先送りにして、今支持を集めようとする政策という共通点があるからだ。
まさにその通りだ。バブルが崩壊するまでは、直接的に観察できるコストは生じない。
ただ、バブルが崩壊した後は大きなつけを払うことになり何もよいことはない。これがリーマンショック、1980年代の日本のバブルの教訓だ。
MMTもリフレも理論的根拠は違うが結論は同じだし、消費税反対もそうだから、同じ人が支持している。ついでにいえば、ワクチンもコロナに罹患するまでは同じだ。
私は、『日本の政治「解体新書」: 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)ではおおよそ以下のように書いている。
平成年間に世界最悪の数字しか出せなかった日本経済は、虫のいいMMT理論が流行って、国債を無制限に発行しても財政は破綻しないから、減税して財政支出を増やせと、無責任な政治家がいう始末。これを実践したリズ・トラス英首相が煉獄の火に焼かれて45日で退陣したから、少し懲りて目が覚めたとすれば幸いだ。
私はマクロ経済政策は、マラソンでいえば、ペース配分とか作戦でしかなく、成長の本当の原動力は走力の向上にあたる産業や人材の育成とか、インフラ整備だとしてきた。だが、石油危機以降の日本は「魔法のマクロ経済学」を探し求めて失敗を繰り返している。
戦後、〝ノートリアスMITI(悪名高い通商産業省)〟が、産業政策で経済成長を実現したが、田中内閣はそれが続くと信じて、国民負担率が低いまま福祉水準を西欧並みにした。大平内閣は、一般消費税とグリーンカードの導入を図ったが、世論の反対で頓挫した。
鈴木内閣は行革すれば財源が得られると呪文を唱えたが、そんなうまい話などあるはずない。中曽根内閣がバブルを起こして好景気を演出したとき、私は資産バブルは維持不可能といったが、超少数派だった。バブル崩壊後は、不良債権の処理と地道な経済成長策を提案したが、どちらも不人気で無為無策に時間は過ぎた。公共事業は資産として残ると闇雲に推進されたが、教育は資産にならず、過疎地の道路が資産であるはずない。問われるべきは、財政支出の額より質だ。有益な投資ならいくらしてもいいのが基本だ。
平成年間、経済成長に有益な政策が採られたのは、堺屋太一が経済企画庁長官だった小渕・森内閣の時期でIT戦略も進められたが短期で終わった。小泉内閣の規制緩和は、道路公団と郵政というマイナーな分野が主眼で、医療や農業は、「特区」での試行で誤魔化したし、低成長下での規制緩和は、格差を深刻化させた。民主党政権は、目標は悪くなかったが、財源もプロセスも提示しなかった。アベノミクスは、第六章で論じたとおりだ。
コロナ渦では、消費意欲もないのに人気取りのバラマキを繰り返して傷口を広げた。だが、対外資産はあるし、人的資源も本気で頑張ればまだ捨てたものでもない。日本は奈良時代に唐の文明を受け入れ、大航海時代には豊臣秀吉が世界に先駆けて近世国家の枠組みをつくり、黒船来航で目を覚まして明治維新を実現し、戦後体制もGHQによる押しつけながらも最新モデルに買い換えたようなもので、古い車のままよりはよく走った。
世襲の生ぬるい政治家に支配されたいまの日本の政治は、バカ殿たちの事なかれ主義で世界から後れをとって、黒船襲来で大慌てした江戸幕府の再現だ。しかし、とことん追い詰められたら、思い切った決断を実行に移せる政治が現れるのこそ、日本人の伝統である。坂本龍馬が「日本を今一度せんたくいたし申候」といったような気概を持った政治家がいまこそ現れてほしいと願ってこの本の結語とする。
私は1980年代のバブルのときに、いずれ破裂すると警告を鳴らし続けた(当時はエコノミストということになっていた)。1990年初にはそろそろ限界だと予言したら当たった。しかし、その反省すら拒否する人がいる。総量規制が悪かったなどというひとがいるが、総量規制発動から地価が下がり始めるまで二年ほどかかって、その間にむしろ傷口は広がった。
悪かったのは、ひとつには不良債権処理の遅れで、もう一つは、地道な経済再建政策を怠ったことだ。
そのころ、中国では朱鎔基が「日本のバブルの轍は踏まない。日本がなぜああなったか綿密に研究してそれを生かしている」といってバブルの誘惑を抑え込み、地道な産業政策や精選されたインフラ整備を展開した。
中国担当課長として、私もバブルの轍を踏まないように中国政府にアドバイスもしたし、何度か朱鎔基と日本要人の会合に同席して話を聞いて、朱鎔基を日本の首相にしたいくらいと思った。
いずれにせよ、平成年間に中国経済は35倍に成長し、日本はドルベースで6割ほどの成長しかしていない。
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