生物多様性オフセットはSDGsと同じ歴史を辿るか

smolaw11/iStock

「生物多様性オフセット」COP15で注目 懸念も: 日本経済新聞

[FT]「生物多様性オフセット」COP15で注目 懸念も モラル・マネー 投資の新潮流を紹介 - 日本経済新聞
英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)のニューズレター「モラル・マネー」12月7日号では、支持が広がり始めた「生物多様性オフセット」の仕組みに懸念の声が出ていることについて論じた。主な内容は以下の通り。世界の生物種の保護などを話し合う国連の生物多様性条約締約国会議(COP15)が7日にカナダのモントリオールで開幕した。開...

生物多様性オフセットは、別名「バイオクレジット」としても知られる。開発で失われる生物多様性を別の場所で再生・復元し、生態系への負の影響を相殺しようとする試みだ。例えば、空港建設でフラミンゴが生息する湿地を破壊せざるをえない場合、建設会社はバイオクレジットを使って近隣地域で類似の環境を保護する活動に力を入れられる。

だが、かけがえのない自然を金銭で取引するような生物多様性オフセットの仕組みに対して、批判の声は根強い。

ブリュッセルに本拠を置く環境シンクタンク「グリーン・ファイナンス・オブザーバトリー」のエグゼクティブディレクター、フレデリック・ハッシュ氏は、現在の生物多様性オフセットの仕組みには決定的な欠点があると話す。例えば、絶滅のリスクが高い生物種のためにどこかに保護地区をつくれば、開発のために湿地を破壊しても許されるといった事態が起きる危険性をはらむと指摘する。

生物多様性の分野に先駆けて、脱炭素への取り組みではカーボンクレジットの売買を通じて温暖化ガスの排出量を相殺できる「カーボンオフセット」の仕組みが導入されている。そして、こうした相殺を容認する仕組みが気候変動対策に取り組むふりをする「グリーンウォッシング行為」を助長しているとの批判がある。

CO2はどこで排出しても地球の大気中で薄まるので、理念上や理論上はオフセットが可能です。しかし、どれだけ制度を整備しようが理念を並べようが、行き着くところはグリーンウォッシングです。

森林クレジットの場合、将来の乱開発予定を過大に評価するなど算出根拠が不明瞭だったり、CO2削減効果を超えて大量のクレジットが発行される事例も存在するなど、詐欺まがいの行為が横行しています。非化石証書についても、再エネを増やす拡大効果(いわゆる追加性)がなく、また国民が再エネ賦課金で負担した「環境価値」を企業側がタダ同然の費用で取得するというきわめて非倫理的な制度です。

先月のCOP27で国連の専門家グループから出されたレポートでも、自らの排出を減らしたとみせるために排出枠の購入に安易に頼るべきではない、と指摘されています。この指摘には、「良いクレジットと悪いクレジットがあって、悪いクレジットを使うな」という意味が込められていますが、本質的にはどのクレジットも「見せかけ」であり大差ありません。

筆者はあらゆるカーボンオフセットについて反対の立場です。実際にはCO2を排出しているのに、クレジットを購入して「実質ゼロ」「カーボンゼロ」などとうたって事業活動や自社の製品・サービスを宣伝することが横行していますが、グリーンウォッシングと言われても反論できないはずです。国が認めているから大丈夫、この製品はカーボンゼロだ、と子供たちの目を見て言えるのでしょうか。

そして今度は生物多様性オフセットだそうです。

2010年に名古屋で開催された第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)の直後によく耳にした用語で、当時筆者もたくさん勉強しましたが、何とも言えない違和感をおぼえたのでそのうち勉強も実務上の検討もやめてしまいました。そこで、十年ほど前の記憶を呼び起こしてみます。

生物多様性オフセットには「ミティゲーション・ヒエラルキー」という考え方があって、生物多様性の損失を回避する優先順位があるとされます。

  1. 【回避】まずは人間活動(都市化や事業活動)によって生物多様性が失われることを回避する。
  2. 【低減】次に、人間活動が生物多様性に与える影響(損失)を最小化する。
  3. 【代償】最後に、どうしても残ってしまう影響(損失)を別の場所で復元し代償する。

当時は3を「代償ミティゲーション」と呼んでおり、これが生物多様性オフセットにあたります。さらにこの代償ミティゲーションもふたつあって、生態系の損失分と同じ生態系をつくり出す、つまりプラスマイナスゼロにすることを「ノー・ネット・ロス」と言い、損失分以上の生態系をつくりだすことを「ネット・ゲイン」「ネット・ポジティブ・インパクト」などと呼んでいました。

記憶の範囲では、ざっとこのような感じです。これから企業で生物多様性を担当する方も多かれ少なかれ学ぶ内容だと思います。

さて、企業としては1と2まではやれると思いますが、3は極めて困難でありかつ倫理的な問題からは逃れられません。どんなに高名な専門家がいたとしても、生態系の価値をどうやって人間が評価し、さらに相殺するというのでしょうか。

よくあるのは伐採した木の本数と同等以上の植林をする、元の生息地にいる動植物を別の場所に移す、などです。しかしこのような単純な指標で対応できるケースは稀であって(そもそもこんなに単純化してよいのか疑問ですし、遺伝子汚染などと言って別の専門家から非難されるリスクもあります)、多くの場合極めて複雑な生態系を取り扱うのです。

10年ほど前にも、いくつか生物多様性オフセットの評価手法がありました。しかしどれも近自然の考え方であり、「工場ができる前の1950年」「高度成長期の1960年」などある年をベースラインと決めて当時の自然へ戻そう、といったものでした。

筆者は先に多自然の考え方を岸由二氏(NPO法人鶴見川流域ネットワーキング代表理事、慶応義塾大学名誉教授)から学んでいたので現実的ではないと判断し、採用することはありませんでした(実施されている方々を否定する意図はありません)。環境省でも大学の先生や専門家を集めて何度も研究会を重ねていましたが、いつしか聞かなくなりました。

あれから10年が経って、今回のCOP15で生物多様性オフセットの議論が出てきたようです。カーボンオフセットですら国連からグリーンウォッシングが指摘されているのに、さらに複雑極まりない生物多様性オフセットについて全世界共通の制度設計などできるはずがありません。

百歩譲って制度ができたとして、ガイドを示すくらいならよいのですが、もしも生物多様性オフセットが企業に対する義務や半強制のような扱いとなった場合には、SDGsと同じ歴史を辿る可能性が高いと考えます。

2010年のCOP10以降、国連をはじめ政府やコンサル、金融機関がこぞって「生物多様性の認知度向上」「生物多様性の主流化」「生物多様性の民間参画」「原材料調達の生物多様性評価」などといってやたらと企業の参加を増やそうとしました。生物多様性オフセットを普及させる場合も同じように言い出すはずです。

そもそも製造業であってもサービス業であっても、自然保護の専門家など社内にいません。そこでコンサルの出番です。企業に教え込む市場が生まれます。内容が難しいほど、成果が上がらないほど、コンサルはビジネスになります。

「生物多様性はビジネスチャンスです」「業種や規模を問わず、すべての企業が生物多様性に損失を与え、恩恵を受けています」「生物多様性オフセットはビジネスの絶対条件です」「サプライチェーンから除外されます」などといって企業を煽ります。

ひと通り勉強したら、次は実践編です。生物多様性オフセットとは、本質的には自社の事業活動によって失われた生態系と同じ質・量の生態系を復元することが目的のはずですが、そんな評価はできません。

そこで、これまで自社がCSR活動やボランティア活動として実施してきた植林やエコツアー、川や海の清掃など様々な活動を合わせてオフセットの分子に使おう、というアイディアが生まれます。何でもいいので過去から行っている活動をかき集めて事業活動による生物多様性への影響を相殺したことにするといった、江戸の敵を長崎で討つような事例が必ず出てきます(これは断言します)。そしてコンサルもこれを認めますし、推奨する人さえ現れます(これも断言します)。

義務化の方向になった途端に普及が目的化し企業に教えるだけの市場が生まれ何も付加価値のない看板の付け替えやタグ付け事例が量産されたSDGsと同じ歴史を辿るのです。そして悪気なく真面目に取り組んだ企業が後からグリーンウォッシングと非難される未来が待っています。

企業で15年間生物多様性に携わってきた筆者の結論は、「餅は餅屋」です。企業は本業で利益を上げる、その利益から株主還元と同様に環境NPOなどを資金支援するのが最も健全で効率的な生物多様性保全活動なのです。

自社の事業活動による損失の評価などといった無駄なことにリソースを使わず、事業と直接的な関連はなくとも地域で自然保護や生物多様性の再生を行っている専門家やNPOを支援するのです。

その際、自然保護のアプローチは、都市化や開発を否定せず、(もちろんミティゲーション・ヒエラルキーの1と2を最大限実施した上で)都市化や開発に乗っかって流域思考と多自然ガーデニングで進めるべき、と考えます。そこで社員や家族を巻き込んでNPOや自治体、学校などと一緒に楽しみながら保全活動をすすめるのが王道だと考えます(自然保護のアプローチに関しては杉山大志氏と岸由二氏の対談動画および筆者の文字起こしをご覧ください)。

『メガソーラーが日本を救うの大嘘』

『SDGsの不都合な真実』