オーストリア日刊紙「スタンダード」に興味深い記事(12月9日)が掲載されていた。オーストリアに避難してきたウクライナ人女性の意識調査に関する内容だ。ロシア軍の攻撃から逃れるためにウィーンに避難してきた大多数のウクライナ人女性は自身を他の難民と同じではなく、「貧しい」とは考えていない。そして過半数は都市部で生活したいと願っているという。同調査はウィーン大学の2人の女性政治学者(Sieglinde Rosenberger, Anna Lazareva)が実施したものだ。
記事はドイツ出身のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント(1906年~1974年)が1943年に書いたエッセイ「We Refugees」(私たち難民)を紹介している。アーレントは「難民とは慣れ親しんだ日常生活からの乖離を意味する」という。そしてアーレントは自身を「難民」と受け取られ、自分自身をそのように見なすことに感情的な抵抗感を覚えていた。「難民」とは、アーレントにとって、無一文で他国に到着し、助けに頼る存在を意味するからだ。
話を現代に移す。ドニプロでオステオパシーの診療所を経営していたが、ウクライナ戦争が勃発したためウィーンに逃げてきたウクライナ人女性を紹介する。彼女は「私は避難民としてではなく、休暇でオーストリアに来たかったのです」と述べている。これまでの生活環境から突然断絶され、それらに関連する全ての欲求を放棄して逃げてこなければならなかったウクライナ人女性の偽りのない苦悩を記述している。
オーストリアには現在、ウクライナ出身の難民約7万2000人が正式に登録され、住んでいる。その約80%は女性と子供だ。彼らは避難民とみなされ、欧州連合(EU)とオーストリア政府の一時的保護に基づいて居住している。
ウィーン大学の研究プロジェクトは、ウクライナから避難してきたウクライナ人女性33人と非政府機関(NGO)支援関係者を対象にインタビューをし、ウクライナ人女性が自分自身や他人をどのように認識しているかについて調査した。その結果、ウクライナ人女性には、①都市に住みたいという強い願望と、②自分を難民と認識したくない願いがあることが分かった。
ウクライナ人女性の難民の大多数はウィーンに住みたいと考えている。その理由として、より良いインフラ、教育、医療、専門的な機会、特に子供たちのための教育、レジャー、スポーツの機会が多いことなどが挙げられている。一部の回答者からは、農村部での食料配給所をはじめとする支援サービスの欠如や移動の制限への懸念が指摘されていた。農村部での生活に対する不安は、彼ら自身の都会的なアイデンティティと、ウクライナの農村部のイメージや経験に起因していると推定されている。
ウィーンに到着したウクライナ人女性たちは「難民」とはかけ離れた自己イメージをもっている。彼女らは、地理的および文化的にオーストリアに近いことを強調し、アラブや北アフリカ出身の難民に対して否定的な態度を示すことがあるという。
インタビューを受けたウクライナの女性たちは、極貧であると言われる他国からの難民と区別し、「自分たちは貧しい人間ではないこと、興味深い職業や私生活の計画を持っていたこと、または戦争が起きなかったら休暇でオーストリアに来ることを計画していたこと」などを強調するという。
ウクライナでは2014年以来、国民のEU意識が高まっていった。そしてロシアの侵略戦争はヨーロッパ戦争、つまり、ウクライナを防衛しているEUの外部国境でヨーロッパの価値観を攻撃する戦争という意識が強い。
彼女らはインタビューでは、特にイスラム教徒の出身国からの難民を「異なった存在」で「貧しい」と受け取っていることを明らかにしている。一方、ウクライナは物質的にも社会的地位も良く、オーストリアとの歴史的および政治的な近さがあると強調する。
オーストリアはウクライナ出身者の地位に関する法的および社会的規制に基づき、彼らを「難民」とは呼ばず、「避難民」という公式用語を使用するとともに、潜在的な労働者として考えている。だから、ウクライナ人自身も自身を“避難民”と感じるようになるわけだ。
調査報告は「避難民のほとんどは、居住するためではなく、一時的な避難所を見つけるためにオーストリアに来たのだから、彼らが生活しやすいようにサポート、ケアする必要がある。同時に、一時保護令は、労働市場への即時アクセスに非常に有利な枠組みだ。避難民の教育レベルが高いことを考えると、統合政策の取り組みは、必要な言語スキルを迅速に教え、ウクライナで実践した仕事や活動をオーストリアでも継続できるように支援する必要がある」という。ただし、「ウクライナからの避難民が労働のためではなく、難民のために移住していることを見過ごしてはならない。子どもたちの日常生活における保護とサポート、住居、教育施設へのアクセスが最優先事項」と指摘することも忘れていない。
オーストリアは冷戦時代、東西両欧州に接する地理的な位置にあることから、ソ連・東欧共産圏から200万人余りの難民を収容してきた。2014年には中東・北アフリカから100万人の難民が欧州に殺到した。そして今年、これまで7万人余りのウクライナ人がオーストリアに避難してきたわけだ。
冷戦時代の難民の多くは政治亡命者であり、14年の難民は経済難民と見なされてきた。そして今年ウクライナから一時的居住を願う避難民が収容されているわけだ。
なお、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、今年2月24日以来、ウクライナから780万人以上が国外に避難し、640万人の国民が国内避難民となっているという。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年12月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。