厄介な気候変動の問題
かつてアーリは「気候変動」について次の4点を総括したことがある(アーリ、2016=2019:201-202)。
- 気候変動は、複数の未来を予測し、それによって悲惨な結末を回避するための介入を可能にする新しい方法と理論を導き出す。
- 気候変動の「原因」と「結果」を特定するには、学際的な研究と理論が必要になる。
- 気候変動は社会的な問題であり、物理的または技術的な未来像だけを考慮すればよいというものではない。
- 気候変動をめぐる言説は高炭素排出社会の軌道を変えることができる。
ただし依拠した学問である社会学の限界から、アーリは「気候変動の問題は、論争の対象となっている複数の未来像、システムの相互依存および厄介な問題についての議論である」(同上:203)との判断を忘れてはいない注1)。
それはまた、「ある社会集団の進歩は、別の社会集団の損失となる可能性があるゆえ、単純な進歩などはありえない」(同上:112)とも表現されている。この両社会集団は、「脱炭素」をめぐる「推進派」と「懐疑派」を彷彿とさせる。
「起こり得ない未来」への批判
そこで私は、アーリが未来について区別した「起こりそうな未来、実現可能な未来、望ましい未来」(同上:26)以外に、「起こり得ない未来」への論点もまた含めておきたい。
ハワイのマウナロア観測所での大気中の二酸化炭素濃度が測定されて65年を過ぎたが、この期間、大気中の二酸化炭素濃度は一貫して増加してきたにもかかわらず、その前半の世界の主流は「地球寒冷化」論であったことと、1988年6月のハンセンによるアメリカ議会での宣言以降の「地球温暖化」論との整合性への疑問が依然として残ったままである。
COP27では科学よりも政治がより前面に出た
その意味で、2021年のCOP26でも「カーボンニュートラル」の目標年を大方の先進国が2050年に設定したにもかかわらず、世界最大の二酸化炭素排出国の中国が2060年、そして世界で第3位の排出国であるインドに至っては2070年としたあたりから、この種の議論は著しく「政治化」してきたと考えられる。
そして2022年のCOP27に至り、科学よりも「政治」がはっきりと前面に登場して、「基金」設立が決定した。そこには、「もし推理の基礎となる事実が、不正確に定められたり、または誤っていたりしたならば、全部が崩壊し、全部が偽りとなる」(ベルナール、1865=1970:31)ような厳しさに裏付けされた科学的精神はもはや見当たらない。
そうすると、もとより「科学性」への疑いが根強くあったIPCCやCOPの活動が示した濃厚な「政治性」により、「経済的・社会的・政治的イノベーションがもたらす、時間と空間にまたがる多くの意図しない結果」(アーリ、前掲書:105)が生じ始めた。
たとえば、国連方針に準拠する日本政府による2022年12月1日から2023年3月31日までの「節電要請」は、世界のGDP第3位の日本にはふさわしからぬ政策であり、バランスを欠いた「再エネ」重視の付けだと思われる。しかも依然としてその反省がないままに、GXと称して、150兆円もの税金を今後10年にわたり支出するという「誤作為」を決定したままである。
「創造的破壊」ではなく、「想像的破壊」に基づく議論が横行
シュムペーターはイノベーションが「創造的破壊」を伴う(シュムペーター、1950=1995:130)ことを喝破したが、「脱炭素」政策は「創造」よりもむしろ「破壊」が著しいので、次世代や次々世代への負荷が多くなると想定される(金子、2022)。この観点からすれば、「未来は現在の改善を表わすものである」(アーリ、前掲書:110)とは思われない。
その意味でも、「未来に対する見方は強大な影響を及ぼすものであり、社会科学はそのような未来像に関するもつれを解いたり、議論をしたり、考えを述べたりする」(同上:18)から、二酸化炭素に関しては「非専門的」な社会科学の立場から「未来像の取引」(同上:19)へのコメントも少しは役に立つであろう。
国連事務次長論文への疑義
たまたま『北海道新聞』(2022年12月8日)朝刊に、中満泉国連事務次長の「気候変動、若者の声聞こう」が掲載された。それは文字数1751字の「未来に対する見方」を軸とした100行程度の論文であった(以下、中満論文と略称)。サブタイトルは「化石燃料中毒に終止符を」となっていた。
アーリの言うように「厄介な問題」である気候変動について、現在の国連の立場を正確に反映しているとみられるので、ここでは16の論点を示して、多方面からの更なる議論を期待しておこう注2)。
なお、中満論文には掲載されていないが、議論の前提として有用と思われるのが図1「2021年世界の二酸化炭素排出量」である。そこで以下の行論のなかでも、図1を適宜参照することにしたい。
G7の排出量は中国、インド、ロシアの合計の約半分
図1のうちG7の内訳は、アメリカが13.9%、日本が3.1%、ドイツが1.9%、カナダが1.6%、イギリスが1.0%、イタリアが0.9%、そしてフランスが0.8%となった。この合計の23.2%は、中国、インド、ロシアの合計の43.3%に比べれば、ほぼ半分になる。
「脱炭素」に熱心なG7でもその温度差が明瞭になってきたが、かねてから「懐疑派」が主張してきたように、3.1%しか排出していない日本が血のにじむ思いで3.0%(2.8%でも構わない)に下げても、世界的な二酸化炭素削減効果は無いに等しい注3)。
「若者」は全称命題の主語にはなり得ない
これを包括的な疑義とした後で、中満論文への第1の疑念は、「若者」の位置づけ方にある。すなわち、短い論文の中で「若者たちの声」への信頼が繰り返し表明されているが、これはどのような「若者」を想定しているのか。
この「若者」は論理学にいう「全称命題」(universal)の主語にはなりえない。といって、「特称命題」(particular)の主語とみなす材料も示されていない。
中満論文で想定された「若者」は、つねに「正しい判断」をもっているのか。まさか世界各地の次々世代が一枚岩と仮定されてはいないだろうから、「若者」を「全称命題」の主語とした根拠を明らかにして欲しい。そうしなければ、この文章の持つメッセージ力はゼロになるのだから。
第2に、COP27での「交渉は難航」したという判断は正しいが、それは「基金」設立をめぐる政治的交渉が「難航」したからであり、学術的には「懐疑派」と「推進派」とは対立したままである。その結果、「基金」によって、GNとGS間はますます分断されてしまったという逆機能が鮮明になった。これについて、国連はどのような「統合」策を用意するのか。
国連の機能不全への反省が乏しい
第3の疑点は、ロシアによるウクライナ侵略戦争の解決に当たり完全に機能不全に陥った国連が、「正義」を振りかざす立場にはありえないことの反省が、中満論文には見当たらないところにある。
なぜなら、「気候正義」の観点からですら、ウクライナへのロシアミサイル攻撃、軍艦からの艦砲射撃、航空機による爆撃、戦車による砲撃、軍用物資、薬、医療器材、食料、兵士の輸送に使われる膨大なトラックからもまた、二酸化炭素の排出量は天文学的数値になっているはずである。
ところが、国連もその下位組織のIPCCやCOPでもそして脱炭素「推進派」からも、その問題点が具体的に論じられたという報道に接したことはない。中満論文にもそれは皆無であった。
第4に、厳密な意味で「気候正義」なるものが存在するのか。
加害者は部分か全体か
第5としては、「パキスタンの年間排出量は地球全体の1%にも満たないが、本年により大きな気候変動の被害を受けた」のなら、その最大の加害者は図1で見ると排出量31%を占める中国といえるのか。またパキスタンの隣国で排出量第3位のインドや、そしてその他の排出量合計で32%の途上国の責任はあるのかないのか。
第6には、「先進国の国内でも、社会的・経済的により脆弱な人々がより大きな被害を受ける」のは、気候変動のみが原因なのではなく、脆弱な人々を救えないその国独自の現存する社会制度や経済制度による総合的な機能不全なのではないか。
第7に、「懐疑派」の指摘によれば、日本の「温暖化対策」で使われてきた費用の100兆円が無駄になったとされる(渡辺、2022)。これを受け止めた未来世代も、同じように「不公平」と感じて「怒る」はずである。
「不公平に対応していく第一歩」はウクライナ侵略戦争の解決から
第8の疑義としては、「甚大な被害を受けている途上国を取り巻く不公平に対応していく第一歩」は、28年先の2050年時点の地球全体などではなく、ロシアによる侵略戦争が始まってからまもなく1年が経過しようとしている今の時点のウクライナへの正対であろう。
国連の無力の象徴すなわち機能不全の被害者がウクライナではないか。この解決方法を言わずして、「不公平」解消のための「第一歩」はどこにも見当たらない。
「化石燃料中毒に終止符を」はG7向けか?
第9には、「化石燃料中毒に終止符を」というのなら、図1の23.2%を占める先進国G7以上にその合計が43.3%となる中国、インド、ロシアにもその指摘を正しく向けたほうが「中毒」の「終止符」が速いだろう。
第10としては、「30年までに再エネに年4兆ドル(約560兆円)を投資する」のはどういう国なのか(杉山、2022)。そして、設置後25年で確実に寿命が来る「再エネ」の解体・廃棄の費用はどこが支払うのか注4)。中満論文では何も書かれていない。
第11に、「50年までに排出量を実質ゼロにすべき」は国連主導の国際政治方針だろうが、科学技術面からは「逆に10%以上増加すると予測されている」。国際政治ならば図1のすべての国々がゼロ指向に舵を切ることになるし、科学技術面ならばG7やその他いくつかの高い技術力の国々に期待するしかない。
かつて失敗した「率先垂範論」を復活させるのか
第12には、「1.5度」のアンビションを達成するためには、……(中略)先進国はその先頭に立つ必要がある」。仮にG7が先頭に立って23%の排出量を20%に下げても、残り77%が現状を堅持すれば、10年前と同じように、「率先垂範論」は成立し得ない。
第13としては、最初は「先進国」と「途上国」の対比だった論文が、末尾に突然「新興国」なる概念が挿入された。この「新興国」には中国とインドは含まれるのか。また、ロシアはこの3者のどこに位置付けられるか。
「国連の正義」からだけでは「未来共有」は困難である
第14には、かりに「基金」が作動したとして、気候変動による災害を受けたいくつかの国々への配分は、どのような基準と方法で決められるのか。対応を間違えれば、GNとGS間の分断に加えて、新たにGS間にも分断と対立が生じる。この自明な国際政治のコンフリクトを、国連がうまく処理するノウハウがあるのだろうか。
なぜなら、第15としていえば、「説明責任を強化する仕組みを早急に構築する必要がある」のは、「社会のあらゆる場」ではなく、まずは国連安保理だと考えるからである注5)。
ウクライナ侵略戦争の解決に無力な国連が、「基金」をめぐる新たなGS間の分断と対立のみに有効な手段を持ちうるとは思われない。
そして第16としてまとめれば、「未来の世代に安全で幸福な人生を送ってほしい」のは全く同感であるが、まずはウクライナとロシアの現世代と未来世代が最優先の対象になる。
しかし、地球全体で「未来共有」するには、これまで展開してきたような疑義が残る「国連の正義」だけでは不可能であろう。「複数の未来像」の設計にも、国連は一層努力してほしい。
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注1)私はアーリとは無関係に、「3.11」以降社会学の観点から地震災害や二酸化炭素地球温暖化の問題に取り組んできた(金子、2012)。しかし、「複数の未来像」の可能性については同意するものである。
注2)すなわち、ほぼ6行(100字)ごとに1つの割合での疑義である。
注3)2010年前後には、当時の鳩山由紀夫首相が国連演説で二酸化炭素の25%削減をのべ、嘉田滋賀県知事が「朝日新聞」(2010年12月1日)で50%削減を主張したことがあり、ともに「率先垂範論」の代表となった(金子、2012:91-93)。
注4)解体や廃棄の費用については金子(2022)に詳しい。
注5)軍事行動は二酸化炭素の膨大な排出を不可避とする以上に、たくさんの人命を奪うから、国連の最大の義務は安保理の正常機能の維持にある。それが全く機能停止していることで、世界全体からの信頼を失ってきたことを国連事務次長は理解してほしい。
【参照文献】
- Bernard,C.,1865,Introduction à l’étude de la médicine expérimentale .(=1970,三浦岱栄訳 『実験医学序説』岩波書店).
- 金子勇,2012,『環境問題の知識社会学』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2022,「『脱炭素』をめぐる想像力の問題」(アゴラ言論プラットフォーム 11月24日).
- 中満泉,2022,「気候変動、若者の声聞こう」(『北海道新聞』12月8日).
- Shumpeter,L.A.,1950,Capitalism,Socialism and Democracy,3rd.(=1977 中山伊知郎・東畑精一訳『資本主義・社会主義・民主主義』(新装版)東洋経済新報社).
- 杉山大志,2022,「COP27閉幕、途上国に年間14兆円払いますか?」(アゴラ言論プラットフォーム 11月23日).
- Urry,J.,2016,What is the Future? Polity Press Ltd.(=2019 吉原直樹ほか訳『<未来像>の未来』作品社.
- 渡辺正,2022,『「気候変動・脱炭素」14のウソ』丸善出版.