京都の人の話す事は、本心がよくわからないと言われます。
京都のぶぶ漬けと言う有名な話があります。
「ぶぶ漬けでもどうどす?」と京都人に言われたら、それは「そろそろお帰りください」という意味らしいです。
また、ご近所さんから「お子さんのピアノ上手になりはりましたな~」と言われるのは、ピアノの音がうるさいと言う意味になるのだそうです。
このように、京都人の言葉の裏にある本音を知る事はとても難しいのですが、これは京都の人に限らず、日本人全般に言えることではないかと思います。
例えば、パーティーなどで、顔見知りになった人に「今度はぜひワインでもご一緒しましょう」などと言われることがあります。
これを間に受けて交換した連絡先にコンタクトすると、ただの社交辞令だったということも多いのです。
でも中には本当に誘ってくれている人もいたりするのでややこしくなります。言葉を真に受けるのではなく、その裏にある真意を正しく理解できない私が間抜けだと言うことです。
結婚式の披露宴で新郎新婦に「近くにお越しの際は、ぜひ新居に遊びにいらして下さい」とスピーチされて、本当に連絡していこうとする人はあまりいないと思います。お約束の社交辞令のスピーチだと多くの日本人は理解しているからです。
しかし、文化が違えば、言われた言葉を真に受けて、本当に出かける人も出てくるかもしれません。
日本語は本当に複雑です。というか、日本人の表現方法が回りくどくて、何が言いたいのかよくわからないことが多いのです。
空気が読めない私のような人は、このような複雑な表現を理解できず、地雷を踏んでしまうことが多くあります。日本の社会ではうまく順応できないかもしれませんが、グローバルに見れば、実は私のような人がノーマルなのかもしれません。
編集部より:この記事は「内藤忍の公式ブログ」2022年12月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。